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豪州で活躍する日本人サッカー選手・栢野敬之

親バカ失礼。表紙に日本人!長男の栢野敬之です。豪州オーストラリアのサッカー開幕!たぶんディビジョンの低いチームですがw。でも「夢はサッカー選手」叶えたね。あっぱれ!平均引退26なんで次へ!光通信ワタミ等の良いブラックへ転職! ■Wiki FFAカップ(英語: FFA Cup)はオーストラリアで開催されているサッカーの国内カップ戦である。大会名はオーストラリアサッカー連盟(略称:FFA)にちなんで名付けられており、FFAが組織、運営を行っている。大会には国内のトップディヴィジョンリーグであるAリーグ所属のク ...

夢を見る書く人生計画や経営計画のパワー

夢を見る・人生計画・経営計画を書く宣言する意義。ちなみに大企業上場企業は100%やっている。悔しいが。特に上場企業は毎日がバッシングされるのでとてつもないパワーが。

すごい客層戦略。田舎のシニア向け10万部

すごい客層戦略。ジャパネットも地方の痴呆、オレも地方の社長向け。ダサい客層は大手エリートしないから。オレはこんな客層に書きたくない。が「スマホがあればアジア美少女といつでも繋がれる」?オレじゃん!よし連載売り込もう!時代はアナログ! ■出版不況と言われて久しい中、次々と新雑誌が創刊されているジャンルがあるという。「シニア向け実話誌」──どんな内容で、何が熱く支持されているのか。 「昭和アイドル2大対決 松田聖子VS中森明菜」「おじさんが恋愛対象 達人10人が教える愛人・セフレの作り方」「50歳からのオモシ ...

エロな店より健全な店が儲かる理由

なるほど!怪しい男向けエステはエロでなく健全な店の方が儲かる!私は意外にこういう店一度も行ったことないので逆だと思ってた。 ■繁華街で「お兄さん、マッサージいかがですか」とカタコトの日本語で、中国系の女性に声をかけられた経験のある人は多いだろう。路上での客引き行為の取り締まりが厳しくなった昨今は、キャッチ女性の数こそだいぶ減ったが、彼女たちの職場「中国エステ」は80年代後半からどんどん増え続け、いまや全国津々浦々にまで広がっている。DOL特集「地下経済の深淵」第10回は、そんな「中国エステ」店の知られざる ...

外食、瀬戸際の闘い「ロイヤル」

ロイヤルホールディングスは双日と組んで経営立て直しを狙う。「存亡のリスクを考えた」。ロイヤルホールディングスは2月15日、双日などから約240億円の金融支援を受けると発表した。新型コロナウイルスで傷んだ財務の立て直しを図るほか、双日の海外ネットワークを使い将来東南アジアなどでの出店拡大を計画する。 コロナ対応で長引く時短営業に、自宅で食事を済ます巣ごもりシフト――。外食を取り巻く環境がこの1年で一変し、ロイヤルの経営も大打撃を受けた。今回の支援で当面の資金繰りのメドがついただけに、記者会見の席上、ロイヤル ...

疑惑の作家「吉江勝」課長のルールの未払いについて。明日香出版

■吉江勝のひどい話① ってか犯罪横領だ吉江勝。この本は新潟のN社労士がゴーストで書いたんですが、10年後の今も偽著者?吉江勝は執筆料未払い。私はこういう悪徳大嫌いなんでボランティア征伐。以下Nさん ■当時執筆した原稿(ワード)と吉江とのメールでのやりとりがまだ全部取ってありましたわ。吉江勝スーパービジネスマン会員メルマガで「明日香出版から、ルールシリーズで『課長のルール』という本を書かないかと打診が来てますが、どなたか会員さんの中で書いてみようという方はいませんか」というメールでの執筆募集に、応募してみま ...

客20人でOK。やきとり大吉が凄い。起業事例

「戦わずして勝つ」立地戦略?どっかで聞いた話だがホントだ!東京を調べたら山手線の中にない!全国640店舗もあるのに!検索すると「昔働いてたので、内情はよく知ってる。地方なら、売上1日2万でも経営は出来る。週一休みで。ただ、仕込みは自分でやるので一日の労働時間は長い。自分でやるからこそ利益率が高い。ヒマそうに見えても実は儲かってます」 ■「ガイアの夜明け」(毎週火曜夜10時)。1月12日(火)の放送では、コロナ禍でも好調な飲食チェーン「やきとり大吉」を特集。セオリーの裏をいく独特のシステムや店主の取り組みを ...

地域アナログ販売の凄い接近戦 

小売の93%は地域アナログ販売。なぜ日本は米中に比べてEC少ない?その理由は↓なるほど!接近戦! ■消費者が足を運ばずに買い物できる、という意味では電子商取引(EC)も移動店舗と同じ利点がある。成長著しい分野だが、日本は他の消費大国に比べて小売市場に占めるECの割合はまだ低い。経済産業省によると、2019年に中国のEC化率は36.6%、米国は11%。対して、日本は6.76%だ。 要因はふたつある。国土が広大な米中に比べて日本は日常生活圏内に店舗が多く、品質を自分の目で確かめて買う行動が根付いている。また、 ...

常にスルーされた。周囲は次々と結婚。暗黒のOL時代がバネになった内館牧子

「常にスルーされた。結婚のアテもなく、仕事では責任も期待もされない。人生を切り拓く術もなく諦めていた。周囲は次々と結婚したり婚約したり」暗黒のOL時代。があっての脚本家・作家で成功! ■武蔵野美術大学卒業後は、伯父さんが勤務していた「三菱重工業」にコネで入社。 実は、内館さんは、2、3年勤めたら、エリート社員と結婚して寿退社をするつもりだったそうで、そのため、ネコをかぶって、結婚相手を探そうと思っていたそうですが・・・ 「海が見たいわ」ではなく、「相撲が見たいわ」という内館さんに、男性たちはひいてしまい、 ...

ソフトバンク創業期の方と飲み会

「フィリピーナにハマった大社長もいたよw」「zoomじゃダメ。大事な話は会わねば」「大勢の飲み会は意味ない。ビジネスの場合は一対一」昨夜は創業期の日本ソフトバンクで孫さんと6年働き「新規事業なんてほとんど失敗よw」借金返済でフォーバル大久保さんと考えた新電電安値自動選択ソフトαLCRをKDDI稲盛千本へ売り込んだら「他社には売るな。ウチが独占する」契約させられたが翌日契約破棄した数ヶ月後に同じソフトがKDDIから出たw。その後は某上場システムソフトの社長やってローソン顧問に(月3桁万円w)。現在は他の上場 ...

ルサンチマン

第二十章 師匠

生涯の師匠との出逢い
 ランチェスター経営(株)の竹田先生は、中小企業に特化した戦略コンサルタントとしては日本でも指折りの存在。ランチェスター戦略とは経営戦略の一つだが、もともとの発祥はイギリスでランチェスターカーという車の製造販売会社をやっていたフレデリック・ランチェスター氏が、第一次大戦中に発表した2つの法則に基づく。

第一法則は、双方の兵器の質が同じであると仮定し、互いに「接近」して戦う場合、双方の「損害量は同じ」であるということ。第二法則は、互いに「離れて戦う」場合、損害の発生は「兵器の数の自乗倍」に膨らむということ。
 つまり、力の弱い軍が戦う場合は接近戦が有利でこれを「弱者の戦略」といい、逆に力が強い軍の場合は、敵と離れて戦う間隔戦「強者の戦略」が有利だと。

 実際の戦争で言えば、前者は相手にゲリラ的に近づいて、最終的にはアメリカに勝ったベトナム軍やイスラム自爆テロ、後者は最新兵器を使って空から爆撃したアメリカ軍ということになる。アメリカはこの法則に基づき、第二次大戦で精神的な根性だけで戦う日本軍に対し、空爆を中心に最新兵器を使い、日本軍を遙かに上回る圧倒的な兵量で勝利したと言われる。

 戦後、アメリカの統計学者がこの戦争とランチェスター法則に関する書物を発表したが、その翻訳した書物の中で、最初に中原氏、次に加藤氏、奥田氏、釜田太公望氏らが「強者の戦略」「弱者の戦略」という言葉を使った。その書物自体はそう売れなかったが、昭和40年代後半、当時売れっ子だった心理学者・南博氏の秘書だった田岡信夫氏が読み(過労で入院していた時)、ヒントを得て「ランチェスター販売戦略」として本を出したところ、その後の累計で300万部以上の大ベストセラーになった。

 その田岡さんの講演を福岡で聴き、外部弟子となった一人が、当時、東京商工リサーチ福岡支店で企業調査と営業の仕事をしていた34歳の竹田陽一さんだ。竹田先生は当時はサラリーマンで営業成績日本一で「危ない会社の見分け方」などの講演も行っていたが、田岡さんの講演を聴いて大いに魅了され、自分もこんな風に講演がしたい、田岡さんのようになりたいと、その後は田岡さんのおっかけや、自ら田岡セミナーを主催。

そしてランチェスター戦略を徹底的にマスターし、10年後の44歳の時、田岡先生のFCのような形で「ランチェスター戦略九州」を個人創業。時間戦略や営業系の講演を年間300回もやっていた。この10年は経営戦略の教材づくりに没頭。今では200本以上のシリーズになり、中小企業向けの経営教材では日本一のラインナップとなった。また、その教材販売と社長塾を開催する代理店も全国に広がり、中小企業の経営を応援している。

●私が竹田先生に出逢ったのは、私が東京のビジネス社という出版社でテープ興しのバイトをしていたとき。書庫で何気なく手に取ったビジネス書「ランチェスター弱者必勝の戦略」をパラパラめくり、最後の著者プロフィールを見ると「竹田陽一 福岡県在住」とある。今も昔もビジネス書の大半は東京なので「へー、珍しい」と思った。まあ、でもその程度で、本の内容はほとんど感心がなかった。

 その出版社には他にも「ランチェスター戦略」と名の付く本が山のようにあった。実はビジネス社は、田岡信夫さんの「ランチェスター販売戦略」の一連の大ベストセラーを産みだした出版社だったのだ。他に「孫子の兵法」や船井総研の創業者・船井幸雄さんの本も多かった。

しかし1992年、ビジネス社は経営危機に陥り、船井総研が子会社化した。 そこに送り込まれたのが当時、船井総研・東京本部の総務部長だった花田さんで、飛び込み営業に来た私に、バイトでもしないかと声をかけてくれたのだ。

 つまり、あの時、東京時代の独立起業はわずか半年で実質休業に追い込まれたが、追い込まれて飛び込み営業をしなかったら、花田さん→ビジネス社→ランチェスター戦略→書庫の竹田先生の本には出逢わなかったのだ。

 そして福岡へUターン後、友人のダスキン伊藤から誘われてセミナーへ行くと、講師がどこかで見たようなエラの張った人。東京の書庫で見た竹田陽一先生だったのです。あー、あの人かとセミナーが終わった後に名刺交換しました。

 その3年後、私が始めていた異業種交流会「九州ベンチャー大学」に講師で来ていただき、二度目の起業の際に竹田先生の教材テープ「スモールビジネス・サクセスプログラム」を購入。本格的に「弱者必勝の竹田ランチェスター戦略」の勉強をスタートしました。

 その後も私の会で10数回講師をお願いし、本とテープと生セミナーに「居酒屋特別個別懇談会」も加え、今回の共著を書き始めた時点では約10年間のつき合いでした。
 

悩んだ末に「守・破・離」の「守」で書く

 こんな竹田先生とのつき合いはあり、竹田ランチェスターの入門本なら比較的簡単に書けるだろうと思っていました。しかし、いざ書き始めると全然書けない。ちょうど2年前に職安から痛くされて大失敗した独立起業セミナーのように、ほとんど何も出てこない。

 仕方なく、竹田ランチェスターの本や教材のテキストを一から読み直し、音声テープを聴きました。ゼロから勉強のやり直しです。

 さらに、私が主催した1999年?2000年「九州ベンチャー大学・特別版」の竹田先生の講義の箇所をテープ興ししていきました。

 まずは「弱者の戦略」の概要。次に「商品戦略」成功する天職・商品の決め方、「地域戦略」成功する地域の決め方、「客層戦略」成功する客層の決め方、「営業戦略」成功する新規開拓の仕方、成功する固定客化の仕方、成功する働き方・・・。

 朝から晩まで、竹田ランチェスターの本と教材と講演テープを聴きまくり、各戦略ごと文章にまとめていきました。ここでは私のオリジナルな文章はほとんどありません。

 最初、この本はゴーストライターの立場だが、私の名前も出るようになった。だから、自分オリジナルな内容も書きたい、自分の色を出したいと欲が出ました。

 しかし、よく考えると、読者は竹田陽一の本として読む。読んだ後、熱心な人は教材も買って勉強する。勝手にオリジナルを加えると不都合が出る。そう気づき、「竹田ランチェスター戦略」通りに、忠実に従って書きました。

自由に書けないのはある意味で苦痛でしたが、物事を学ぶ段階には「守→破→離」がある。基本を守らず、改良した「破」や独自の「離」をやっても身に着かない。まずは基本の「守」。つまり、師匠の言うとおりに書こうと方向修正しました。結果としてはこれで大正解でしたね。

 ただ、本の構成では今までの竹田先生の本にあまりなかった「成功事例」を豊富にいれました。あえて言えば、ここが私のオリジナルな企画ですが、福岡・九州には「竹田ランチェスター戦略」で成功した会社には事欠かなかったですね。

 私の主催するセミナー交流会「九州ベンチャー大学」のゲストにも該当者は沢山いましたし、先生のクライアントに成功事例の取材もやってました。

 また、この竹田先生との共著の前に、地元起業家の人生事例集「逆転バカ社長」の原稿を書き上げていたのが良かったですね。事例に取り上げた社長は九州ベンチャー大学がらみで昔からの知り合いが多く、事例部分は比較的簡単に書けました。

 なんとか2002年の10月半ば、「小さな会社★儲けのルール」の原稿が完成。この間、多くの人の応援や手助けも受けました。直接的には、フォレスト出版の編集者・田中智子さんには大変お世話になりました。

 毎月毎週、叱咤激励の電話やメールをもらいましたが、あのプッシュがなければ3ヶ月ではできなかったですね。編集者の重要な仕事は、サボる著者を叱咤激励すること。1人では堕落します。自分は他人に締め切りを決められ、強制がなければ動かない人間だと認識しました。周囲のおかげで成長させて貰っている。本当に感謝しています。

 ただ、私自身は原稿内容には満足していませんでした。あまりに内容が軽い。薄っぺらい。竹田ランチェスター戦略の触りくらいしか書けていない。これでは竹田先生の顔に泥を塗ることになる。真剣に悩みましたね。

 実は10月半ば、原稿を書き直させて欲しいと出版社に申し出ました。が、「あれで充分よい原稿だし、もう出版計画に組み込まれている」と却下。

しかし、見本誌が出来上がり、出版社の社長が福岡へ挨拶に来たときも、「こんな本ではダメだ。どうしようもない。世に出たら恥ずかしい」とウツになり、薬局で精神安定剤を買って飲んだほど、本は出来たが逆に困ったと落ち込んでいました。

 かつ、約1年間、結果として2冊の本の執筆に集中していたので、それまでの本業の広告代理業の仕事も激減。お金もほとんど無くなっていました。99%の本は1万部も売れません。だから印税も知れています。本は出るけど、それだけでは食っていけない。今後の人生をどうしよう。俺はいったい、どうやって生きていこうかと、本当に悩みました。

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-ルサンチマン

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