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コロナワクチンで死にかけた友人の実話

【ワクチン副作用で重体】1/10万人の確率だが 友人がワクチン接種2回目直後、重篤な血栓で倒れてICU集中治療室で壮絶な入院後に復帰した全記録↓ ※「ワクチン 血栓」で記事多数 中村律子です。 ■これからワクチンを打つ方に大切なメッセージです。<要約>ワクチン接種1ヶ月は下記のことを注意。血栓ができやすくなる場合があります。 対策は ①水分を十分にとる ②座りっぱなしはNG(せめて1時間に1回は立って歩いたり、足踏みを!) 私は、ワクチン接種後5日目の、9/9〜9/29 21日間突然入院していました。ワク ...

日雇いやってみた

すごい日雇い労働ダイエット!さらにプライド捨てる修行。防塵衛生管理ちゃんとしてる埼玉県郊外の某化粧品メーカー下請け物流センターで、無料サンプル品送る小さな段ボール箱の組み立てと、大きな段ボール組み立てガムテープ作業を立ちっぱなし8時間!1日で2キロ弱痩せた!流れ作業でサボれない(コレ大事)強制労働で1万円貰って画期的なダイエット!私はフルキャストシニアに登録して日雇いのみ。常時雇われるのはイヤなので。今日もいたな。底辺肉体労働現場の嫌味な上司。いきなり怒鳴る「命令口調」が頭に来る。到着時の服装チェック男3 ...

ごみ収集バイトやってみた

日雇いやってみた。家庭用ゴミ捨て場を100ヶ所以上巡回。燃えるゴミ(生ゴミ多く重い)の袋を両手で2-4個つかみ、車後部の回転圧縮部へ投げ入れる。生ゴミはプシュ!と袋が破裂して中身の汚水が飛び出る。プラスチックや木のゴミはバキバキと破壊しながら巻き込む。なんか爽快な気分。でも「挟まれることありますよね」「他社で指2本切断したが、足の指を移植したらしい」。ベテラン社員と2人で満杯4回計12トンを焼却場へ。そうか。オレは今日約6トン手に持ったか。1日で2キロ痩せた。日雇いダイエットは凄い。慣れてきた午後は、ゴミ ...

業務スーパーのカレー美味い!

自作自演で史上最高に美味い!離婚後の自炊カレーほぼレトルト。2-3度ルーで作ったが鍋焦がしたりw。久々の今回はニンジン玉ねぎジャガイモごま唐辛子ルーは業務スーパーで。アメリカ産豚肉小間切れは西友浅草で。具沢山意識してザク切り大きめ水少なめが良かったか。業務スーパーPBルー辛口も私の舌に合った。足りないのは愛のスパイスw

私の夢リスト20211201かやのかつみ

2021年11/11「小さな会社ランチェスター式」セミナー動画

2021年11月11日 小さな会社ランチェスター式儲かる戦略① by 栢野克己かやの・セミナー講師  

元AV女優で日経記者出身の社会学者

「東大AV女優」「日経AV記者」などの肩書きをもつ文筆家の鈴木涼美氏が、自身の体験をもとに綴る“警告”後編である。鈴木氏によれば、会社員としての女性社員の生き様は、大きく分けて「社外評価重視型」と「社内評価重視型」の2つ。前者のタイプだった鈴木氏は、仕事姿勢をフォローしてもらうために社内の人間と肉体関係になった経験があり、毎回、大変悲惨な事態に陥ったという――。 例えば、入社して手始めに寝てみた2人の子持ち、30代の中堅社員は、その後、上司から私を守ったり、なんなら私のために原稿を書いてくれたり、思った以 ...

「好きなことは売れた後にやればイイ」ひろしが売れた理由

月収4000万円からゼロへ。しくじり先生ひろし。デビュー売れない頃に言われたアドバイス。そうなんだよな。好きな数学でなく勝てる現代文選んだ林修先生も、為末もサザンも玉置浩二もつんくも意に沿わない売れ線から。チューリップは財津がええカッコしいで連続売れず、売れ線「心の旅」でボーカルも甘い姫野で売れた。商品も起業も歌も本も店もつい自分が好きなことやってしまう。でも一般ウケするのはアナ雪みたいな自分が好きなことやろう!市場がデカい自己啓発本も。でもビジネスは自分だけでなく、客とライバルが決める。まずは食うために ...

日雇い派遣パン工場8時間で3キロ弱ダイエット!

念願?のパン工場で日雇い派遣バイト。裏が見たかった。「日雇いダイエット」「日雇い派遣ヘトヘト日記」暴露本を書くぞー!ランチはパン無料やし(サイテーやった)。それと現場で東南アジアや南米系の美女ナンパできるかもw。いゃ〜実際いた。インド人みたいな美女。まぁマスクで顔半分隠れてるのでわからんが、アッチ系は目が大きくてまつ毛長く、眉毛も天然ワイルド。カラダはドラム缶だったがw。いざ現場入るとサボる暇ない。秒速コンベアで流れてくる一度に6個パン焼き器5-10kgぐらい?何百個も持ち運んだ。メロンパンは1000個ぐ ...

人生は10年しかない

  ◆人生は10年しかない。無我夢中になれる条件 「命短し恋せよ乙女」 黒沢明監督の名作「生きる」のなかで、志村喬扮する一市役所の市民課長が、この歌を幸せそうに歌うシーンがありました。彼、渡辺勘治は30年間無欠勤という模範的な役人だったのですが、ある日、自分が胃ガンで余命幾ばくもないことを知らされます。早くに死に別れた妻との間にできた息子にも冷たくされ、絶望と孤独に陥った彼は、街へさまよい出て、飲みなれない酒を飲むのです。ああ、自分の人生はいったい何だったのか?・・・。 かれは生きることの意味を ...

ルサンチマン

第十五章 大学

「大学」を設立

 こうして勢いを取り戻してきた1998年の11月、居酒屋のてっしい村・溝上社長がある独立希望者を連れてきた。三和銀行の営業マンを経てリフォーム会社の社長室長をやっているが、今度会社を設立することになった。名刺や会社案内やチラシなど、営業ツール一式を作って欲しいと。うれしい話だが、海のものとも山のものわからない会社で、回収が出きるかどうかのリスクがある。

 事務所で2時間話を聞き、その後、天麩羅やで2時間、人となり、計画を聞いて決めた。ぜひ、その仕事を受けさせて欲しいと。これが一気に700万円ほどの大型受注になり、その他ふく鮨本舗の三太郎のテレビCMや、毎月の受注額は30万円前後と小さいが、広告効果の改善で業績も人生も大逆転することになる英会話のFCC・赤峰社長のコピーライティングなど、受注額も内容も大満足できる仕事が続くことになる。

 また、この頃、香酢や青汁などの健康食品通販会社「やずや」の矢頭宣男との仲が急速に高まり、やずやを会場にし、SMIという自己啓発教材を販売するサクセスパワー福岡の上射場社長が主催する成功哲学勉強会に参加して、初めて人生の夢とか目標設定をした。この中で「本を出す」夢も書いた。が、本を出すなんて夢のまた夢、叶うはずがないと思っていた。

 矢頭さんとは、矢頭さんが講師になって行った21世紀生き残りセミナーの集客や運営を手伝ったり、東京のあるコンサルタントのセミナーに共に参加した。また、正月には矢頭家の家に呼ばれ、当時、調子に乗っていて妻への感謝を完全に忘れていた私は、矢頭さんから相当な強さで頭を殴られた。まさに愛の鞭。後頭部だったのでクラクラした。少し、やばかったが、この半年後に矢頭さんは他界。今では宝のような一生の想い出だ。

 年が変わり、1999年の2月、「大学を創る」という考えが閃き、一気呵成にチラシを作成。数百人に賛同を求めるFAXを送り、100人からの賛同者を集め、4月から「九州ベンチャー大学」特別版と称し、それまでやっていた異業種交流会「不況撃破懇談会」とは別に、独立起業のビジネススクールをスタートした。

 これは当初、和洋菓子チェーンの石村萬盛堂と宅配鮨チェーン「ふく鮨本舗の三太郎」のFC加盟店募集を狙ったイベントの広告文章を作成している最中、「九州ベンチャー大学」という名称を思いついたのだが、この名前にピンときた。

 これはイイ名前だ。単なるFC募集のイベントではなく、公的な感じで、単発ではなくシリーズで独立起業を考える人に役立つビジネスセミナーにするのだ。

 今までの異業種交流会を拡大し、独立起業と中小企業に絞ったビジネススクールにするのだ。通常のビジネススクールは講師も内容も大企業中心。この九州ベンチャー大学はゼロから始める起業と零細中小ベンチャー企業に絞るのだ。

 学部学科は、独立起業学部、営業学部、新規開拓学科、ルートセールス学科、商品戦略学部、地域戦略学部、客層戦略学科、顧客創造学科、財務学科、成功哲学学科、人間心理学科、挫折克服学科・・・などとし、講師は各分野で活躍する現役起業家、コンサルタントが担当。これは、中小企業コンサルタント・ランチェスター経営(株)の竹田陽一先生が、以前から提唱している大学改革案。社会に出てもほとんど使えない経済学とか会計学ではなく、営業とか地域戦略とか、実務に使える学部や学科がなぜないのかと。

 このあたりの考えをワープロで一気に書き上げ、それを数百人へfaxして100人の賛同サインをもらい、「起業家100人によるビジネススクールを開設!」としてマスコミへfax。これが朝日新聞や西日本新聞、起業雑誌アントレなどに大きく取り上げられ、第一回目の前半は、石村萬盛堂の石村社長、ふく鮨本舗の三太郎の蔀社長、ランチェスター経営の竹田社長をパネラーとして私が司会のパネルディスカッション。後半は竹田社長のワンマンセミナーと交流会。初回から100人を越える参加者が集まった。朝日新聞は社会面と経済面、西日本新聞は夕刊だったが、一面トップにデカデカと記事が載った。

 (俺はマスコミに載ると調子が良くなる。一般の人が、新聞やテレビや雑誌に記事として紹介されるということは、一生に一回あるかどうか。それが俺の場合、10数回は超える。そのほとんどは異業種交流会がらみ。公的な内容。マスコミに報道されること、マズローの欲求5段階説の認知と自己実現が満たされる。通常は周囲の人たちや所属する組織などから認められる、支持される程度だが、マスコミ報道は告知の数のケタが違う。新聞地方版で約40万部から90万部、テレビは300万世帯、雑誌も数万から10万部。有り難いことだ。勘違いしないよう、自己制御が大事)

 第二回目からは会場をHIS九州中国本部のビル内セミナールームに移し、前半は地場コイン駐車場「テクニカル電子」本房社長などの起業家による独立物語、後半はランチェスター経営・竹田社長による弱者必勝の経営戦略講座で計3時間。この特別版のベンチャー大学とは別に、通常の異業種交流会も毎月開催。この毎月約50?100人集まるセミナー交流会を、同時並行で1年以上継続した。他のゲスト講師はカギの110番・上野社長、音丸行政書士、FCC英会話の赤峰社長、スコッツの下田社長、市民バンクの片岡社長、パナ通信社の亀川社長他を迎えた。

 (この特別版は1年しか続かなかったが、この講義内容はほぼそのまま、のちの「小さな会社☆儲けのルール」「逆転バカ社長」の重要な原稿になった。人生に無駄はない)

突然、またもウツになる

 こうして97年前半は絶好調、97年後半から98年前半は不調、98年後半から99年後半まで絶好調・・・・といった好不調の波を繰り返した後の2000年2月、2度目の本の出版にトライしていたある日の夜、またもウツに襲われた。

 今まで何回もウツになったが、今回のウツはそれまでと違った。予兆というか、ウツに入る瞬間が自分でわかった。最初、頭の隅に何か光のようなものが差した。そして、不覚にもウツだと確信してしまった。自分で自分をウツだと洗脳したかのようだった。

 原因はよくわからない。が、直前に五木寛之の「大河の一滴」を読み、「マイナス発想でもいいじゃないか」「人生は苦しみなのだ」みたいな文章に洗脳さえたのかも。

仕事は相変わらず求人と販促の広告代理業で、何とか最低限食えていたが、ぜんぜん満足はしていなかった。しかし、じゃあ、他に何かもっと自分に合う仕事はと自分に問いかけても見えない。わからない。何度目かの天職探しの時期が来たのだ。
 
 そんな2000年の4月、ランチェスター経営の竹田先生から、先生の主催する経営研究会で講演をしないかと声をかけてもらった。その前から、「栢野さんも本を出しなさい。講演をしなさい」と言われていたが、冗談じゃないと思っていた。竹田先生は東京商工リサーチの全国トップ営業マンを経て、44歳で経営コンサルタントとして独立。その後20年で約13冊の本を出し、講演も約4000回の実績がある。何もない俺が講演とか本を出すなんてできるはずがないと思っていた。

 しかしまあ、これも経験だと引き受け、しかし、私自身の経営成功体験といえるようなものはないに等しいので、広告代理業を通じて、自分の広告の出来であきらかに業績アップに貢献できたと思う取引先の事例を話した。

 当時、通信販売系のダイレクトマーケティング理論が一部で注目を浴び、その理論と自分の広告事例を組み合わせ、小さな会社で小さな広告でも、広告文章次第で効果は何倍も上げられることを、聖心美容外科やFCC英会話やホームテックの広告事例を上げて説明した。

 初めての講演にしては、自分でもまあまあの出来だと思った。予想以上にエネルギッシュに話している自分というか、自分で自分の話に酔っている、良い意味で調子に乗っている、原稿もなしで話す言葉が次々に出てきた自分に驚いた。

 しかし、講演がうまく行った余韻に浸れたのも数日で、またウツ気分が到来。新規開拓の仕事はせず、既存クライアントから声がかかったら仕方なく出向くという、なんとも後ろ向きな姿勢で広告代理業の仕事をなんとかこなした。

 その合間に、講演も何回かやってみた。福岡大学の学生向け、青年会議所、流通研究会など、その大半は求人や販促広告の成功事例だった。まあまあ、なんとか詰まりながらも、毎回、講演らしい形にはなった。

講演にチャレンジして大失敗

 しかし、ある会合で出逢った専門学校の女性経営者の依頼でやった独立起業セミナー。これが大失敗した。これは大元のお金は国というか職安からで、失業者向けに独立起業セミナーを連続で25回ほどやることになった。

 金額は1回2時間前後で2万円くらいだったか。忘れたが。自信はなかったが、トライする価値は十分あると思い、カリキュラムを組んだ。形式は、前年にやっていた九州ベンチャー大学の特別コースと同じ。

 前半で実際に起業した経営者を招いて体験談を話してもらい、後半は、私が竹田ランチェスター理論に則って、商品戦略・地域戦略・客層戦略・営業戦略と話していく。つまり、実例と理論を相互に繰り返しながら講義するというもの。対象者は現在失業者で職安に通っている人で、かつ、独立起業に興味がある人。

 しかし、結論から言うと、毎回の講義に参加する人はドンドン減り、40名の教室に5名を割る日が続く。講義中もあきらかにウケていないのがわかり、全25回の内、半分も消化しない段階で俺の方から根を上げ、講義を辞退。惨めな敗北宣言だ。

 原因はいくつかある。最大の原因は、参加者を引きつける講義ができなかったこと。これに尽きる。いや、参加者は失業保険期間の延長が最大の目的で、起業自体には実は興味がなかった。つまらない講義、やる気のない生徒・・・大学の授業と同じだった・・・とは言いたくない。責任はこの私にあったのだ。

 参加者は多いときで10名程度で、少ないときは5名。今は同じような内容の講演を年間100回近くやっていて、原稿なしでもスラスラ行けるが、当時は原稿を読まないと講演が出来なかった。自分自身の体験談はOKだったが、ビジネス系の話はアドリブではダメだった。思い出しても顔が赤らむ。冷や汗が出た。

 毎回、講義の数日前からレジメを持って講義練習を事務所でやったが、結果は悲惨だった。意気込みは相当なものだったので、かつ、自分なりには事前準備もしっかりやったつもりだったので、この失敗は相当ショックだった。竹田先生の本を何回も読み、講演講義も何回も受け、理解していたつもりだったが、何も身に着いてはいなかった。そのこと自体もショックだった。

 さらに、将来はコンサルタントや講演家で食っていくという考えもチラとあったので、その道はとてもじゃないが自分には向かない、無理だと、大いに落胆した。それは即ち、自分の天職探しにも失敗したということだった。

 ただでさえウツなのに、この大敗北は完膚無きまでに私を打ちのめした。日々、夢遊病者のような感じで時が過ぎていく。今までの広告の仕事はなんとかこなし、なんとか最低限は食えたが、やりがいも将来性も見出せない。何とかせねばともがいた。

 自分の天職は何か。独立して5年が過ぎていたが、私は「アントレ」とか「ビジネスチャンス」などの起業本を読み漁った。何か自分に合う、できる、満足できる仕事がないか。 お客から呼ばれれば仕事に出たが、多くの時間は以前も経験したように、図書館や公園で人生本を読んだり、無為な時間が過ぎるのを待った。完全に青い鳥症候群というか、今の自分は本当の自分ではない。でも、何をやったらいいのかわからない。わからないから悩む。サラリーマンに戻るか?でも、何が向いているのかわからない。

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-ルサンチマン

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