最新エントリー

独立起業塾2 九州ベンチャー大学

第13回 ランチェスター竹田の「弱者必勝の顧客戦略/感謝は態度で示せの法則 5,250円(税抜) DVDのみ 重要な顧客戦略。一度商品を買って貰った方への感謝の気持ちを表すこと、また、そのお客様に忘れられないためにはどうしたらいいのかなど、具体的にお話します。 第14回 いずみ田・泉田代表(大手に克つM/K理論飲食店) 5,250円(税抜) 動画ファイルのみ ランチェスター竹田の「弱者必勝の地域戦略」 第15回 資格屋独立物話+広告DM戦略 5,250円(税抜) 動画ファイルのみ 士業起業+広告DM戦略 ...

独立起業塾 九州ベンチャー大学

第1回独立起業塾【私の人生逆転起業物語】 5,250円(税抜) DVDのみ 石村萬盛堂・石村社長/ランチェスター経営・竹田氏/ドウイットナウ(ふく鮨)蔀氏/3者の「私の人生逆転起業物語」 第2回福岡パナ通信・亀川社長(数度のサラリーマン挫折→電話秘書代行業) 5,250円(税抜) DVDのみ ランチェスター竹田の「弱者必勝・9つの独立法則」 第3回カギの110番・上野社長(露天商から世界一の50億カギ屋物語) 5,250円(税抜) DVDのみ ランチェスター竹田の「弱者必勝の独立・商品戦略」 第4回銀行脱 ...

あざっす!増刷28刷15万部へ

あざっす!ロングセラー22年目で計28刷。たぶん15万部は超えたか?韓国台湾翻訳やKindleも含めれば。当初はゴーストライターの話だったが、ダメ元で共著のお願いFAXすると5分後に「あーイイよ。栢野さんが書くんだから、あなたの本として。私は監修で小さく名前が出ればイイよ。最後に教材紹介のページ入れて頂戴w」まぁ宝くじが当たったようなもん。狂ったね。勘違いして。この数年は文学系直木賞目指したが、小説=創作作り話のセンスはゼロと判明。森永卓郎のような陰謀論でも書くかw。8月は大阪で久々に講演。詳細やAmaz ...

ルサンチマン

第二十三章 再会

父との再会

2007年6月30日。私と妻が講師の「世界一周」をテーマにした講演会があった。主催は私の元クライアントで、地場NO1の英会話学校「FCC福岡コミュニケーションセンター」赤峰代表。

少し早めに会場へ着くと、年輩のシニアが3人いる。赤峰さんに聞くと、講演会の新聞記事を見てFCCに申し込みがあったらしい。が、なぜか、「一番前の席を予約したい」とのことで、赤峰さんも当惑したと。この3人は1時間前から来ていたと聞き、なんかシランが熱心な人達だなあと思っていると、

「カッチャン!元気だったね!俺よ俺」

「えっ?!」

「あなたのオヤジが福岡シティ銀行の下関支店長時代の部下よ。私は柳瀬で・・・」

「あーーーー!!ご無沙汰しています!」

思い出した。当時、私は小4。面影はなぜか覚えていた。

「どうしたんですか。今日は」

「いやー、カッチャンが新聞に出ていたからね。あなたのことは何度か新聞で見ていたけど、連絡先がわからなかった。今回は日時も場所も書いてあったから、皆で話して今度こそ行こうと決めて、来たんだよ」

「えーーーそれはどうも有り難うございます!」

32年ぶりの再会だ。

「あなたの講演を聞きたかったんだ」

「・・そうですか(でも、なんで?)」

「あなたのお父さんも、講演ばっかりしていたからね」

「ええええええッーーーーーー!!ホントですかあ!!」 (初めて聞いた)

「口は達者だった。支店長時代は勿論、その後の業務推進部長、取締役小倉支店長、北部九州ブロック長時代、行内や他の支店や外でも講演ばっかりしていたよ」

「え?!そうなんですか?!」

「私らはもう引退してるけど、下関支店のOBで<うず潮会>という同窓会をやり、年に何回か集まってるんよ。あなたのお父さんには、それはそれはみんな世話になった。あんな人はいないね。すごい人だった」

「・・・そうなんですか。でも、実は私は親父のことは知らないんです。高校2年の時に親父は44歳で亡くなったから、親父がどんな仕事をしていたか、何を考えていたかなど、そんな話しは一度もしたことないです。もし、できたら、今度、うず潮会があるとき、私も必ず誘ってくれませんか?親父のことを知りたいんです」

「そりゃあ、我々も大歓迎よ。みーーんな、あんたのお父さんの部下で鍛えられたからね。栢野学校の卒業生よ」

「いやーうれしいです!ありがとうございます!」

なんと、33年ぶりに父に会える。本当の父を知ることができる。なんという奇跡だ。これもそれも、世界一周という無謀なことをしたおかげだ。1000万円かかったが、なんか元は取れたという感じ。俺の心の中にはずっと、親父への不信感というか憎悪感があったので、いつか和解したい。でも父はいない。でも、自分なりに解決せねばと思っていたので、なんとも奇跡の出逢いだ。今回は。

が、奇跡はそれだけではなかった。

実は赤峰さんが今回の集客の件で、日産自動車のマーケティング本部・福岡プロジェクトにいる高校時代の同級生に案内を流したところ、

「栢野さん・・・この名前・・・もしかして、この人のお父さんは福岡シティ銀行にいたんじゃないの?(その友人は福岡シティ銀行のOB)」

「ええ、そうらしいよ」

「あーーじゃあ、間違いない。あの栢野金之さんの息子か・・」

「栢野さんのお父さんを知ってるの?」

「知ってるなんてもんじゃない。あの人が銀行の、営業の仕組みを創り上げたんだよ!」

赤峰さんは昭和24年生まれの58歳。この同級生も同じ。親父は昭和6年生まれ。生きていたら76歳。親父は昭和50年9/30の銀行半期決算の日に脳血栓で44歳という生涯を終えた。ということは、この同級生の方は当時26歳。親父は取締役業務推進部長で、一般には営業本部長みたいな立場だったからだろうから、あの人が銀行の営業システムを創り上げたというのは、当時の役職から言えば当然かもしれない。

それも、親父が活躍した昭和40年代・1960年代はまさに日本の高度成長時代のまっただ中。時代にも恵まれたのだ。が、だからこその激務だったらしく、親父は銀行団のヨーロッパ視察から帰国後に倒れた。

亡くなった当時、同僚からはこう聞いた。「オヤジさんは過労死だね。亡くなったのが銀行の決算日というのも、栢野さんらしい」

\ スポンサーリンク /

オススメ

-ルサンチマン

S