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増刷あざっす!これで16万部に。

今朝気づいた印税の振込。担当者が3月に退社して後任未定で?増刷連絡もなし。でも入金あざっす!8年間Kindle印税未入金のK出版社もw。33万円はたぶん2016年の青本新版3000部増刷だ。下のKindleはほぼ毎月なので、2002年の初版から総計で16万部ぐらいか。韓国台湾タイ翻訳も含めると。これも1998年から「本を出す」と夢シートに書いて毎年挫折して書き溜めて2002年に実現した。当初は竹田陽一ゴーストライターの依頼だったが「共著にして下さい!」FAXに1分後「アンタが書くんだから著者も印税もあなた ...

福岡で対面セミナー&懇親会※zoomも

※会場20名満員御礼→50人部屋へ→現在24人 ※交流懇親会は同じ場所でワリカン2000円前後 ※オンラインzoomもあります↓ 福岡市で久々の勉強会と懇親会。前日は北九州市の経営者団体で仕事。7/14お暇あればどうぞ!本に書けない成功失敗事例100連発も。何かのヒントになれば幸いです。 ※以下↓会場かzoomかもメッセに記入を。ちょっと変な広告が出ますがスルーをw ■申し込みリンクはコチラ ■成功事例 150手作り面倒ダサいショボい怪しい売小 149年商1億以上目指さない。粗利率と額 148ユニネク・ヤ ...

日雇い筋トレダイエット セブンイレブン向け工場

念願のセブンイレブン向け食品工場に潜入日雇い。以前行った山崎パンやマツエツスーパーと同じく、衛生管理処置が超絶厳しい。手指手洗いやトイレに行っても一定秒数以上手かざし消毒せんとドアあかない。■休憩時間にユニフォーム脱いで、マスクや靴もゆるめて歩いてると、社員や古株パートから連続で指摘叱られまくり。ここも工場ラインでは嫌味な注意指導言い方や即キレする奴が複数いました。■が、ノロや食中毒出すと、下手したら年商数百億がパーに。巨大なセブン専属?下請けメーカー凄いっす。感心感服です。たぶん手抜きな中小は見習うべき ...

久々のアナログ講演+接近戦

業界のニッチ分野で地域No. 1+目指すアナログ接近戦な勉強会でエラソー講師。静岡、埼玉、千葉、栃木、茨城等から社長や後継者が集まって一泊二日。事例100連発以外に、人生の夢や経営計画を書く簡単なワークシート入れてたら、主催の冨山塗装・冨山さんが強く反応。「イイ機会なので事前に書いてもらい、セミナー後に再度見直しワークを皆でやってみます」。3時間あっという間に終わり、居酒屋飲み会で各自の自己紹介と夢やホラを発表。某バツイチ父子家庭社長の娘さんが秋葉原のメイド喫茶で店長に!おーそりゃ凄い!一回で100万40 ...

翻訳・中国本土版が出ます

あざっす!中国本土版が出ます。韓国と台湾とKindle含むと4万部強。これで他の拙著含めベトナム語とインドネシア語に日本語で世界6カ国で出版。「アルケミスト〜夢を旅した少年」がブラジルで20万部→スペイン語や英語や日本語等世界38カ国で翻訳計1億5000万部へ。ってな夢は諦めてません。まぁ読者市場小さいビジネス書じゃ無理なので、巨大市場=大衆や女性にもウケる感動創作小説、、全く無理w

ユニクロ創業の安かろう悪かろうの頃

柳井さん肉声ユニクロ創業〜安かろう悪かろうの頃。私が初めてユニクロで買ったのは1995年頃。すぐボロになって驚いた。それを承知の上で柳井さんはやってたんだ。客も。不良品売っても稼ぐ。そういう度胸が必要な時はある?オレは騙しウソダメw ■1984年ユニクロ1号店の商品は、当時全盛だった岐阜のメーカーものが中心で低価格、これがベースで、インポート商品を目玉にしていた。どちらかと言うと品質より値段優先だった。ほとんどがメンズのティーンズカジュアル専門店といった品揃え。郊外店を出し、1号店と同じ品揃えをしたのだが ...

テレ東の中小企業奮闘番組グロースの翼

【嫌な客はこちらから切る】中里スプリング製作所(群馬県高崎市)▼「町工場だからといって卑屈になるな。嫌な客はこっちから切る」――。群馬県に本社と工場を構えるバネ専業メーカーは、下請けを見くだす企業との取引を停止する独自の経営スタイル。その一方、腕ほどの太さのものから髪の毛より細いものまで、多彩なバネを取りそろえ、臨機応変に対応しています。 【廃業を見据え共尊共栄】武蔵境自動車教習所(東京都武蔵野市)▼「経営理念は(共存共栄ではなく)共尊共栄です」――。春の足音が聞こえ始めると自動車教習所のかき入れ時。 ...

香港の重慶大夏とタンザニア商人

Amazon■香港のタンザニア人ビジネスマンの生活は、日本の常識から見れば「まさか! 」の連続。交易人、難民、裏稼業に勤しむ者も巻きこんだ互助組合、SNSによる独自のシェア経済…。既存の制度にみじんも期待しない人々が見出した、合理的で可能性に満ちた有り様とは。閉塞した日本の状況を打破するヒントに満ちた一冊。 という切り口で零細商人の日常を描いたエッセイ。オレもマネしようw 香港在住タンザニア商人ブローカーの実態ドキュメントエッセイ本。2019年7月発売で15刷。推定5万部〜ベストセラーで大宅壮一ノンフィク ...

スパルタ餃子の王将の成功要因

以下の店長研修YouTubeは必見。感動するわ。成功の半分はコレやな。私の大学卒論は「餃子の王将〜繁盛の研究」久々食うとやっぱ美味い。餃子は高級中華や中国でも食べたが、やっぱ王将が一番。学生時代から舌が洗脳されてる。鬼辛ラー油で激辛に。余った餃子のタレは全部飲む。プラス思考のゼミ先生から「カヤノ君は王将に就職しては?」と本気で言われたが、その勇気はなかった。当時の京都で稼ぐなら佐川に王将、京セラは狂セラと言われてた。餃子早食いの王将がまさか東証1部上場企業になるとは。コロナでも年商800億で営業利益60億 ...

ジャパネットの凄い創業秘話

凄い。貴重な創業秘話。人生を変えた5分間。「ラジオで喋って通販してる会社が佐世保にあるよ。伸びてるんだよ」1992年に福岡へUターン転職した広告代理店で噂を聞いた。その後はテレビ通販に広げ、一気に全国区に。話が上手い!でも買わん。ヨドバシやビッグカメラの方が安いかも知れんし、なんか寅さんみたいな怪しい縁日の香具師(ヤクザ系多し)な口八丁手八丁で。これで買うのは比較検討しない右脳情弱女シニアだ。疑い深い左脳男はほぼ買わん。必要ないのについ買う買わせる悪徳だ。今でも思うが大成功。 以下日経ビジネス有料会員限定 ...

ルサンチマン

第十七章 天職探し

ハンコのFCに加入する

 そんなこんなで天職探しをしていた2001年、日経Uターンという雑誌に載っていた顔写真ハンコの会社の記事を読みました。シャチハタみたいに、押すと自分の顔写真がスタンプ形式に残るハンコ。商品名はデジハンでした。実はこれに似たフォトポンという顔写真ハンコを以前愛用していたので、その良さはすぐにわかりました。

 記事を見るとFCも募集しています。2カ月ほど悩んだのですが、当時のFC加盟店に電話して聞いてみると、うまく行っているところはほとんどない。でもそれは、彼らの営業力がないからだと思いました。

 どこも本業は建材販売、、食品販売、スナックバー、雑貨品販売などで、本気でやっている加盟店はほとんどない。この顔写真ハンコは、いわば個人広告。俺は広告代理店をやっている。広告業の延長だから、俺がやればうまく行くはずだ。

 かつ、福岡地区で独創的な加盟店はない。商品は面白い、粗利も2500円の商品で6割ある。商品の差別化もでき、これは面白い。俺がやればできる。私はできる!必ずやる!やればできる!陽転思考だ!思考は現実化するのだ!とにかくやるのだ!と、なけなしの金をはたいてFC加盟店に加入しました。

 私と妻の実物ハンコを作ってチラシを作り、まずは知り合いの会社を廻りました。商品単価は2000円。最初に顔写真を用意してもらうか、なければこちらで出向いてデジカメでパチリ。その写真を事務所へ持ち帰り、パソコンで画像処理をして版下を作成。それを専用の焼き付けプレス機械に挟み込み、ハンコの版をプラスティックのカバーに組み込んで出来上がり。

 安いのと、自分の顔写真がハンコになるのは面白がられ、インクを補充すれば名刺やパンフレットに何回でも押せる実用性もあり、出だしは順調に受注できました。

 知り合い系をほぼ一巡した後、新規開拓を考え、とりあえずチラシと見本ハンコを持って、ビルの上から片っ端に法人の会社を廻りました。

 飛び込みで受付の女性にまず、チラシを出して受付の目の前で顔写真ハンコをポン!と押し、「スゴイでしょう。担当の方をお願いします!」と大道芸人を演じました。

 旭化成の住宅会社や外資系の生命保険会社など、予想はしていましたが、やはり仕事で文字通り顔を売る必要がある営業マン、ウーマンに売れることがわかりました。

 よし!イケル!多い日には約300件に飛び込み。一度に10個以上の注文をもらえることもありました。ハンコの製造は妻がやってくれましたが、一個ずつ手作りで大量生産できませんので、注文が重なったときは大変でした。

 ある時、仏壇の「はせがわ」から営業員100人以上を大型受注。フル稼働状態でやりました。しかし結論は毎月赤字。労多くして実り少なし。単価の低い商品を手作りで、かつ、リピートがほとんどないのが致命的でした。結局、3カ月で辞め、他のFC加盟店もその後ほとんど撤退。数年後、本部も破産しました。

40歳を過ぎて「新聞配達」にも挑戦

 何をやっても駄目な私。この頃は本当に本当に落ち込んでいました。でも、何とか自分を変えたいと、知ったことで金をかけずにできることは何でもやろうと、早起き、掃除、内観、瞑想、ヨガ、ありがとう1万回、プラス発想、できるできる!私はできる!と唱えること、マントラ、夢や目標を書き出して眺める・・・・。

 しかし、なかなか劇的な変化は現れません。そんな時、仕事で出逢った社長が新聞配達をやっていたと3人続けて聞きました。新聞配達は以前から一度やってみたかった仕事。朝早く起き、休むことは許されず、厳しい修行のイメージがある。

 とにかく変わりたい。元気になりたい。目覚めたい、気づきたい、ピカッと閃きたい、雷に打たれたい、とにかく何でもイイ。刺激が欲しい。這い上がるきっかけが欲しい。

 何日は悩みましたが、自宅から近い朝日新聞大手門専売所に思い切って飛び込み、その場で採用となりました。翌日から朝4時過ぎに起き、初出社しました。

 職場は約10人で、正社員は1名。他はバイトで、中学生1人、高校生3人、意外にも社会人が半数以上を占め、おばあさんも1人いました。

 私の指導係は40代半ばくらいの人。新聞専業かバイトなのかは知りませんが、無口で淡々と仕事をこなしています。私は言われるとおり新聞をセットし、バイクの後ろに積み重ね、ゴムで留め、担当エリアを先輩と共に廻りました。戸数は120世帯。

 数日でなんとか配達する家を頭に入れ、独り立ちしました。休刊日は月に1日のみ。他は全部出なければなりません。まあバイトですから、休んだときは正社員や他の人が代わりで配達するのでしょうが、休めば迷惑がかかるのは歴然なので休めない。申し訳なくて。

しかし、やはり、朝4時過ぎに起きるのはツライ。前日は早く寝ればじきに慣れるのでしょうが、寝るのは夜10時とか11時で、睡眠時間は約5時間。キツイ。でも、やり始めたからにはせめて1カ月は続けねば。なんとか4時に起き、新聞にチラシをセットし、バイクに載せて走る。

 配るときはバイクから降りて一軒一軒郵便受けに入れていく。配りながら、俺は表向きは社長で、たまには人前で先生と呼ばれて講演もする。それがこの様だ。ざまあみやがれ。因果応報。落ちるところまで落ちたねえ。栢野さんよ。

 そう自虐的になりながらも、配達中は「ありがとう」を唱えていました。これは小林正観さんとか、様々な人が言ってますが、ありがとうを1万回言えば人生が変わると。感謝を態度で示せ。人は思考と言葉と習慣で創られる。

 ありがとうくらい言えるさと、配りながら「ありがとうございます」と唱えていてふと気づきました。毎日120世帯に配り、月のバイト代は4万3千円ほど。逆算すると、1世帯に配ると約10円になる。つまり、私は一部配ると10円、チャリンとお恵みをもらっていることになる、新聞を取ってくれているから、私は給与を頂ける。

 それまでは配ってやっている感覚があったのですが、こうして私が新聞配達できるのは、新聞をとってくれている人のおかげだと気づきました。当たり前のことだが、私にとっては大きな発見でしたね。

 ありがとうございます。新聞をつくってくれた新聞社の方々、読者、新聞記事になった人々、製紙会社、バイクメーカー、バイク屋さん、寒い日をしのげる服屋さん、こうして配れる体力を頂ける毎度の食事と材料、この福岡の街、すべてにありがとうございます。

 しかし、気づきはその程度で、他は何も変わらなかった。新聞配達中に、天の啓示か何か、ガーンという変化があるかと思ったが、何もなかった。まあ、3カ月程度ではねえ。少なくとも1年、冬の一番寒い時期も経験したかったが、やはり昼間が眠く、何かに目覚めるどころか体が辛く、仕事にならなかったので辞めた。

 ああ、俺は新聞配達も続かないのか、だらしないなあという気持ちもあったが、「いや、42歳にしてはよくやった。お前はえらいよ」と自分で自分を虚しく誉めましたた。

辞める前には徐々に慣れ、朝6時前には配達作業も終了。いつも博多港の公園で一服していました。そして、明るくなる東の空の朝焼けをじっと見つめ、朝日が昇った瞬間に「ヨシッ!オレの人生も夜明けだ!朝の来ない夜はない!ツイテルツイテル!」と、来る日も来る日も唱えました。でも、何も変わりませんでしたね。その時は。
 

心療内科への通院

 こうして何をやっても駄目で、またも私は心療内科へ行きました。薬の力を借りて、ガーンと目覚めることができないかと。最初にその手の医院に行ったのは、29歳の時の、大阪で仕事と結婚とが同時破綻した自爆テロの時。うつ病と診断され、薬はもらいましたが効かず、退職と婚約破棄をして、大阪から東京へ引っ越したあとには治りました。

 福岡に帰ってきてからは、最初にダイエー前の心療内科「こころのクリニック」に2カ月ほど通いました。その他は舞鶴の川上クリニック、赤坂の義家クリニックに通いました。どこも繁盛していましたね。驚くほど。ある医院の来店者は1日約50人。一人あたりの診療報酬は、例えば私の場合、保険収入も入れると約1万円ですから、単純計算で1日50万円の報酬。

そのうち、原価は薬代、看護婦代、家賃、電気代他で、診療設備のいる外科とかに比べると、極端に言えば机と椅子があればできる。おそらく、医療設備としては一番金のかからない診療科目が精神科や心療内科。わからんですが、ざっと1日30万円の粗利はあるのでは。1カ月で900万円。1年の年棒はざっと1億円。商売としてはなかなか儲かるなあと思いました。

 通院で多少困ったのは、待合室はよくある普通の歯医者みたいな共同スペースで、個別の仕切などはない。つまり、互いの顔や姿は丸見えで、知り合いがいたらバレルわけですね。

 診療内容はどうかというと、一応、問診票みたいなものを元に、「どういう症状ですか?いや、どうもやる気がなく、仕事が出来ないんです。そうですか。夜は眠れますか?はい。朝は起きれますか。はい。朝は憂鬱だが、夕方あたりからは比較的楽になれますか?はい。軽いウツですね。お薬を処方しておきますから、1週間ほど様子を見て下さい。ありがとうございます」で、診療自体は5分前後で終わり。

 4カ所の精神科・心療内科を廻ったが、親身になって深くヒヤリングをして問題解決をはかろうとする医者はいなかった。そんな暇はないのだ。後には患者がずらりと待っている。カウンセリングや相談事に時間をとられている場合ではない。

 実はこちらも問診などは必要でなく、欲しいのは薬。薬でやる気が出るのなら安いものだ。この薬。薬物中毒になる人の気持ちが少し分かる。一度飲み始めると、毎日飲まないと不安なのだ。私の場合、人生で過去5回くらい心療内科に通った時期があるが、そのうちの1回は、タイミングも良かったのか、薬の効果がきっかけで良くなった時があった。薬で脳内ホルモン、やる気の出るドーパミンかなんか知らないが、何事にもやる気が出て、仕事にプライベートに調子が良くなったことがあった。本当の快復原因は他にあったと思うのだが・・・。

 いずれにしろ、その後のウツの時、私は医院に頼りがちになったのだ。ウツだ。でもあのときと同じように、薬がこの人生の苦境を打開してくれるかもしれないと。しかし、大半は薬を飲んでも特に変化はなかった。やる気も出ないし、何も変わらない。

 私は望んだ。躁鬱のソウになりたい。気狂いでもなんでもいい。過去に何度かあった。94年のアド通時代の結婚前の躁状態、97年の角川とのケンカ時代、99年の九州ベンチャー大学の発足時。体の中からほとばしる情熱とやる気と行動力があった。しかし、俺ももう42歳から43歳になろうとしている。もう青春でもない。スポーツでは完全に引退の歳。俺も終わりかもね。何度もそう思い、でもこのままでは終わりたくない。何とか脱したいと常に藻掻いていた。

 ウツの一番の原因は、自分の天職がわからないこと、出逢っていない。私も本業である広告代理業はその頃も細々と続けていましたが、求人広告や販促広告の企画制作にはやる気が失せていました。どうもやる気が出ない。やる気がないから広告の仕事も最低限しかできないし、金はいつもギリギリで貧困生活。常に不安がある。でも先が見えない。夢を見る余裕がない。この繰り返し。

 過去に聖心美容外科とかFCC英会話とかの成功事例や、やずやの会社案内も作ったし、今をときめく成長企業ふく鮨本舗の三太郎やホームテックの一連の営業ツールも作ったが、これが俺の天職ではどうもない。違う。

 一番の理由は、こんな広告代理は他にもできる人が山ほどいる。求人広告では、営業活動では昔の20代の俺のような営業マンには勝てない。販促広告も、例えば身近な、アソシエの益田さんなんか俺より遙かに優秀だ。つまり、なんとかもがいて今の広告代理業はできるかもしれないが、これが一生の仕事にはならない。

 じゃあ、他に、何が俺に出来るのか。竹田先生は本を書けとか、講演をしろとか言うが、そんなことができるはずがない。同じ広告系コンサルの神田昌典のようになれるか。いや、コンサルとして二番煎じは嫌だし、能力は彼の方が遙かに上だ。勝てない。

 唯一、俺が人よりも自慢できるのは九州ベンチャー大学。1992年から2001年とまもなく10年目で、ほぼ毎月継続している異業種交流会は他にない。この手のヤツでは九州一、日本一かも知れない。しかし、それでは食えない。食えていない。

 ある意味ではイベント業かも知れないが、毎回4000円の参加費で、場所代の3500円を払い、通信費や講師への謝礼を差し引くと、毎月ほとんど残らないどころか赤字になることもしばしば。

 しかし、俺はこの九州ベンチャー大学をやっている時が一番楽しい。ゲスト講師の話に自分自身が感動するのはしばしばで、交流会での皆との話も面白い。「来て良かったです」、「また来ます」、「人脈が出来ました」、「人生の、仕事のヒントが得られました」、「転職のきっかけになりました」、「独立するきっかけになりました」・・・そういう声がうれしい。やっていて良かったと。今まで何度も辞めようと思ったが、その度に今回もやって良かったといつも思う。

 しかし、お金は残らない。これだけでは食えない。どうしたら食えるのか。身近な例では、ランチェスター経営の竹田先生や船井幸雄さんや田中真澄さんのようになりたい。人生系では、小林正観さんや神渡良平さんのような、弱者の人生に希望を与え、一隅を照らすような講演家、作家になりたい。

 でも、俺がコンサルタント?講演?本の出版?それは無理だ。じゃあ、何をするのだ?わからない!

この頃、やずや社長の食えなかった頃の対談CD、竹田社長が失業者で子供にビスコも買えなかった話、講演家・田中真澄さんも食えないとき、小学生の息子が「おとうさん!ボクの貯金を使ってもいいよ」と云われた講演の部分など、その他、各分野で成功した人が苦しかった時代の話CDやDVDを掻き集め、何度も何度も聴きましたね。こんな人たちも苦しい時代はあった。だから、俺も復活できると。

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-ルサンチマン

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