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歌舞伎町と貧困女子と私に関する事

第5章 カモられる中年男性 「ホスト狂いの女の子たちは、無限にお金が必要なので、常にどうやってお金を作ろうか考えています。ホス狂い女子会みたいなのはよくある。基本的にお金の話ばかり。内容はえぐいです。どこの風俗が稼げるかというレベルじゃなく、おじさんたちからどうやって財産を奪うかみたいなこと」 彼女たちに狙われているのは、寂しいおじさん。40代、50代で未婚で優しそうな人をなんとか見つけて、ガチ恋をさせて、お金を引っ張りたがっている。 結婚しない、できない男性は本当に増えた。2020年の生涯未婚率(50歳 ...

博多のストーリー殺人と私との関係

こんな事件はスルーするが、博多で美女だがいかにも中洲風で派遣事務?がなぜ野獣男と交際?自ら引き寄せたな。と思った。よくあるケバい夜の女とヒモ男だと。中洲で有名なロイヤルボックスとリンドバーグの藤堂ママがいち早く男の名を実名写真で拡散したんで、2人はママの店で働いてたんだ。と思ったが別な中洲の高級ラウンジらしい。藤堂ママは知人の情報を社内メールで流したら、社員がTwitterで拡散。犯人逮捕のために。みな善意で。でも警察は最初から寺内進を追ってた。ストーカー処分されてたから。彼女はタレント女優目指してたが挫 ...

缶ビール

缶ビール会!あざっす!福岡■12/3土曜13-17第149回「缶ビール会」します。遅刻早退出入り自由。各自1000円分の飲食ツマミ持参。想像以上に頑張って驚きの能古島ツバキ化粧品通販ママ山本嬢、神戸大学ノエビア経て地場オンリーワン博多人力屋神谷さん、結婚者続出の恋愛コンサル純古さん、某有名大手とも契約探偵の岩河さん、敏腕コピーライターかつ福岡No. 1防犯機器二代目安永さん、暴力団対策他九大体育会の堀内弁護士、不動産4棟オーナーでバイク買取他OHG大賀さん、通販グッズ企画で年商10億弱20人抱えるコウダプ ...

2022年12/1博多で九州ゴム工業会エラソー講師

昨夜は博多駅で、真面目でお堅い「九州ゴム工業会」さんで15年ぶりのリピート講演。「面白くて役立ったので」by中島ゴム工業会長。ところが反応頷きがほぼない。講師にはツライ。全員マスクで表場見えないのもあるが。途中で大半は下請け的な中小メーカー。上から仕様書がきて見積もり合戦経て設計製造納入。自社ブランド商品ほぼ無い。営業だマーケティングだ顧客フォローとか関係ない。九州は8割がブリヂストン他タイヤ関連の下請け。「僕たちはそれ以外のニッチ2割で頑張ってます」他業界の事例や綺麗事の経営戦略戦術とか通用しない、、と ...

東京から失意のUターン

東京から失意のUターン。私の第二の人生はココから始まった。当時33歳無職独身。7社目の転職活動中、35万の中古プレリュードで糸島半島の素晴らしさを発見(福岡市生まれ育ちでしたが、高一で引っ越したので行ったことなかった)。家から30分でこんな透明な海岸(弊の浜)が!東京じゃありえん。ふと道沿いの今宿・牧のうどんに入る。美味い安い早い!おばちゃん元気がイイ!食っても無くならん!独身時代に毎週行き、元妻との最初のデートもココ。赤ん坊をカゴに入れて3人で毎週。4人になっても毎週。当時、実家絡みの借金1億抱えてたの ...

佐賀県七山村の温泉で職員研修

昨日は福岡・糸島半島隣の七山村にある佐賀県No. 1アルカリ性トロトロの「鳴神温泉ななの湯」でミニ研修講師。前日食った地元の「牧のうどん」と焼肉うどん「ウエスト」。前者は18店舗で後者は200店舗以上。「どっちが美味しい?」研修参加15名中13名が牧のうどんで圧倒的勝利。 ウエストの1/10以下の規模だが。「なぜ美味しい?」「手の前で製麺裁断して釜茹で出来たてだから」「その通り!ウエストはカト吉の冷凍麺。大量生産品で安いが、手作りめんどくさい出来たてには勝てない。さらに牧のうどんはスープに使う利尻昆布が稀 ...

奢りますw。過去最高益のラーメン一風堂

おー!売上も一気にコロナ前の290億を超えそうだ。そうか!海外店舗も多いんで円安効果も。しかし、商品作り〜運営までマニュアル化のチェーン展開うまく行くと、あとは店出すだけだ。ユニクロとかも商品しっかりしてるから、店長以下凄い人材も要らんし。究極は一蘭みたいに店舗で製造接客無しロボット人材でイイ。サイゼリヤも他のチェーン店も。でも商品は工場で大量生産販売店であっためるだけだから、小さな会社お店個人店が食材調理採れたて新鮮手作り出来たて熱々でやれば勝てる!家系ラーメン元祖の吉村家(横浜一店のみ)に行ったら70 ...

失敗忘備録

失敗忘備録。会報巻頭インタビューに寿司ざんまい、星野リゾート、コクヨの社長に石田純一も。税理士・社労士・行政書士+経営コンサル+保険他で550人(関与先3万社で業界ベストテンの規模)の巨大士業コンサル集団「ティグレ」東京支店の定例セミナーに登壇。知的エリート士業や常務幹部も目の前に4-5人いて、会場とzoom同時並行で目線反応にプチ戸惑って前半は不調。いつもなら機関銃のように出るアドリブも詰まる。滑舌も悪い。絶体絶命のピンチだ。ってもう何百回も経験した。大丈夫だ。最初にコクヨとぺんてるの敵対的買収ウラ話で ...

一風堂ファウンダー講演レポート

9/17「世界の一風堂」ファウンダー河原成美セミナー1時間+質疑応答2時間。テーマは「無我夢中」だけじゃ自己啓発セミナーなので、合間に戦略戦術の話題も。が、会場の音響チェックミスで音が割れた。録画も。まぁでも創業期〜中小時代の素晴らしい話オンパレード。■期間限定で音割れYouTube動画を公開。

宮崎9/13セミナー交流会

★緊急特別企画★ ≪演題≫「小さな会社★儲けのルール」成功事例100連発by栢野克己氏 4年振りくらいにベストセラー作家で講演家の栢野さんが宮崎に来ます。 今回も事例100連発?で宮崎の経営者を元気づけてもらいます。 フライングで参加表明している方もいますので、迷わず即決で参加申込みしてください! 毎回一週間で満席になる人気講師です! ◆日時:9月13日(火)18時30分~20時30分 ◆会場:宮崎県婦人会館3F「おすず」 宮崎市旭1-3-10(県庁近く) ◆会費:3000円(税込) ※当日の受付混雑を防 ...

ルサンチマン

第三章 失格

仕事内容より会社のブランドが大事

研修センターでの机上と工場組立ライン研修が終わり、いざ、現場の仕事場へ。私の配属先はヤマハ発動機(株)東京支店管轄、ヤマハ東京(株)多摩営業所。つまり、ヤマハ発動機の販売子会社へいきなり飛ばされたのだ。一瞬ギクッと思ったが、俺一人ではなく、新卒採用の文系採用は全員。後から知ったが、メーカーの場合、文系採用の営業職ではよくあるケースだった。

ヤマハ東京(株)多摩営業所は東京都府中市の刑務所のすぐそばにあった。所員は約25名。所長の他、営業、事務、技術メンテナンスの面々。新卒での配属同期は2人いたが、俺は偏差値で少し勝っていた。

さて、実は社会人になるまで知らなかったのが営業という職種。研究開発、工場生産、企画、宣伝、マーケティング、営業、事務、保守サービス、法務、海外法人、その他。会社は様々な職種から成り立っているが、当時の私のイメージは就職ではなく就社。

つまり、職種はある程度どうでもよく、文系エリートの場合、営業や事務や企画や広報など、様々な職種を経験しながら、管理職や部長や取締役になっていくのだろうと、漠然と思っていた。だから、営業という仕事には特別なこだわりもなく、どんな仕事内容かも知らなかった。まあ、物を売る仕事なんだろうな。

身近では、小売店や飲食店の店頭販売の仕事があるが、ああいう店員なんかはレベルが低い仕事だと思っていた。人に愛想良く、もみ手をしながら物を売りつける・・・っていうのは嫌だなあと。学生時代までの仕事の印象はそういうものなのかもしれない。まあ職種はなんだっていい。入れば何とかなると。

営業所に配属されて数週間、先輩営業に同行してバイク屋さんや自転車屋さんを廻った。

「どうもこんにちは!ヤマハの栢野です!よろしくお願いします!」

よろしくとは言っても何をお願いするのか。それにヤマハの栢野ではないな。正式には、ヤマハ発動機の子会社であるヤマハ東京(株)に出向の栢野だ。なんか格好悪い。早く、ヤマハ東京(株)の本社管理部門、その上のヤマハ発動機(株)東京支店へ行かねば。

しかし、営業とは何をするのか、この時点でもよくわかっていなかった。というか、早くこんな現場から足を洗いたいと思った。「なんか合わない」ことが多かったのだ。
営業所では修理メンテナンスの人間、バイク屋の親父・・・どうも合わない。大体、そういうヤツは学歴も教養もなく、元不良が多い。中学時代に不良から受けた虐めによる偏見か。そう。俺は中小零細や、油まみれの修理などをする肉体労働者を嫌悪していたのだ。

営業の仕事とは

日々の仕事でわかってきたが、我々、ヤマハ発動機販売会社営業マンの仕事は、一台でも多くヤマハのオートバイを売ること。それも一般のバイクに乗る人に直接売るのではなく、小売店であるバイク屋さんや自転車屋さんへの卸売り。一部の専門店を除き、バイク屋さんはホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキのバイクを販売している。

我々営業の仕事は、いかに自社のバイクを店に買い取ってもらうか。他社のホンダやスズキより多く、在庫として持ってもらうか、店頭に数多く並べてもらうか。バイクメーカー4社のうち、バイク屋さんにはヤマハのファンになってもらい、店頭に来た最終消費者の方にヤマハのバイクを薦めて買ってもらう。

メーカーとしては研究開発と商品企画でより良い製品を製造し、それをテレビCMやバイク雑誌などでマスコミPRをする。実際には、消費者はヤマハやホンダのメーカーからではなく、小売店である町のバイク屋さんで買う(この構造は一般消費財メーカーの場合、ほとんど同じだ。車、家電品、食品、酒、ファッション、雑貨などなど)。

大型バイクなど一部のマニアな消費者は、バイク雑誌や口コミで買う車種を決めているが、数の出る原付バイクなどは消費者も知識は少なく、大半は店頭で見て、店員から話しを聞いて薦められたりして、どのバイクを買うか決める。

つまり、商品が売れるかどうかは、①商品そのものの力(バイクで言えば、パワー、機能、燃費、デザイン、価格、イメージ、他)、②CMや雑誌での宣伝・マーケティング、?全国への販売網の広さと多さ、③キャンペーン、④バイク店での店頭宣伝、⑤店頭在庫の多さ、⑥店員の接客販売の仕方、他となる。

このうち、①から③まではメーカー本社の範疇で、現場の営業レベルの仕事の中心は④⑤⑥に関わること。つまり、バイク屋さんに、店頭で他社よりも多くヤマハのバイクを並べてもらい、接客においてヤマハのバイクを薦めてもらうか。そう仕向けるために、普段のつき合いが大事になる。

自社よりライバル会社に惚れた

結論から言うと、私はこの小売店相手の営業ができなかった。それ以前の問題で、私はヤマハのバイクに惚れることが出来なかった。私は、バイクならホンダが良いと思っていた。それは今もそうだ。エンジン性能、価格、デザイン、会社の姿勢、イメージ、すべてにおいてホンダは素晴らしいと思う。

相手の幸せを考えると、バイク屋にとっても消費者にとっても、買うならホンダが良いと思ってしまった。これはヤマハの営業マンとしては致命的。が、客観的にはホンダだと思った。劣る物は売りたくない。

が、こういう姿勢や考えは態度に出るもので、私は積極的に、自信を持って自社の商品を薦められなくなった。営業マンとしてはサイテー。会社から給与をもらう以上、自社商品を売って利益を上げねばならない。なのに自社より他社商品に惚れているのだから、どうしようもない。

私が入社した前年、ヤマハ発動機は絶好調だった。原付のパッソルが売れ、売れ行きのいい250ccでは、RZという2サイクルもバカ売れ。単月だったがヤマハがホンダを二輪の売上シェアで追い抜き、史上初の二輪ナンバーワンメーカーになった。その勢いに乗り、私が入社した年は文系だけで200名前後の大量採用だったのだ。

ところがその年、ホンダが本気を出した。今までのヤマハの売れ線に、ホンダはことごとく、強烈な対抗車種をぶつけてきた。原付はタクト、250ccではVT、オフロードではXL。ホンダはほぼ毎週新車種を出した。怒濤の勢い。ヤマハは虎のしっぽを踏んでしまったのだ。後年、HY戦争と言われるバイク戦争となった。

が、ヤマハの社員として、サラリーマン・営業マン失格者の私は、ホンダのバイクに惚れ込んだ。口には出さなかったが、バイク屋の店頭でホンダのバイクを目にする度、この原付バイク「タクト」の色つや、製品の完成度の高さはどうだ、4サイクルで燃費も良い。このVTに至っては4サイクルの250ccで、パワーに勝る2サイクルのRZと並んだ。当然、燃費も良いし故障も少ない。美しいVツインエンジンのデザインも最高だ。

それに比べ、ヤマハのパッソルはオモチャみたいだ。RZ250は暴走族に多いし、2サイクルだから音がうるさく排煙も多い。こりゃダメだ、製品としては・・・・こんな評論家になってはヤマハの社員としては失格だ。

クダラナイお客とは話したくない

この評論家気質に加え、実は私はバイク屋の親父が好きになれなかった。聞いてはいないが、どうせ学歴は中卒や高卒だろう。店頭にバイクを並べるだけで、あとは油まみれになって修理をする。服は汚い作業着。話す内容は、競馬や競輪や女の話。くだらない。人間としてサイテーの部類だ。
俺はこんなヤツらと話している時間はない。早くこんな現場を脱出し、本社の管理部門へ行かねば・・と思った。が、今はこいつらに頭を下げてヘーコラ。仕方ない。

こんな考えは態度に出るのだろう。バイク屋の親父に無視された。が、こっちも嫌い。バイク屋に行くのが嫌だった。会っても話すことはない。バイクのことは俺よりも詳しい。俺には値引きやその他最終決定権はない。単なるお使いみたいなものだった。

(同じ頃、同期の優秀な鬼塚晃は、新入社員でもお客に役立てることはないかと、スーツを脱ぎ捨ててツナギでバイク屋を廻り、店頭バイクの掃除をしていたと20年後に聞いた。彼は現在、去年上場した英語のアルク関連会社の取締役。心構えに雲泥の差があった)

そもそも、バイク屋の親父のような中小零細企業商店の親父は尊敬できなかった。どうせ、こいつらは勉強が出来なかったんだろう。だから、こんな汚い地べたの現場で仕事をしているのだ。俺は高学歴で大企業に入ったエリートのホワイトカラーだ。本来はこいつらが俺に頭を下げるべきなのに・・・・。おかしい。悔しい。屈辱的だ。

バイク屋では、ライバルのホンダ、スズキの営業マンにも会う。実は彼らは皆高卒だった。ホンダやスズキも、実際にバイク屋を廻るのはメーカーの社員ではなく、販売会社の社員。ヤマハは販売会社も大卒だった。つまり、ヤマハは同業他社が高卒で採用してる現場の営業マンを、大卒のメーカー採用で販売会社へ出向という形だった。こちらは大卒で、ライバルは高卒。ヤマハ発動機の同期に有名一流大学のヤツが少なかったのはそういうわけだ。謎が解けたね。

車業界で言えば、俺がやってる仕事は車の販売会社、ディーラーの営業と同じだ。どうせ辞めるのだからという前提の職種。ヤマハ発動機には受かったが、実は高卒と同等の仕事をさせるための大量採用で、最初から学歴や知力は期待されていなかったのだ。

しかし、私はこのライバルの低学歴者にも負けた。バイク屋に対する営業で、営業といってもバイク屋と仲良くする=くだらない話をするルートセールスだったが、バイク屋はヤマハの私と会うより、ホンダやスズキの営業マンと会うのが楽しそうだった。それは私も同じだった。バイク屋の親父と会うより、他の本を読んだりした方が勉強になる。こんな考えをするだけでまたも失格だ。

ついにノイローゼになる

私はヤマハのバイクが好きになれない。ヤマハよりもホンダが良いと思う。バイク屋にとっても、消費者にとっても、良いのはホンダだ。かつ、バイクは果たして何か社会貢献しているのか。原付バイクあたりは実用的だが、スポーツバイクは単なるレジャー。バイクは危ない。車の方がいい。速いバイクは暴走族に使われる。バイクを売ることは、俺がやっている仕事は反社会的なことにつながるのではないか。

仕事自体、週に1~2回、テリトリー内の同じバイク屋に顔を出すルートセールス。話が合う取引先はない。賭事や女や遊びなど、くだらない話はしたくない。が、そんなことはもちろん言えない。営業で嫌々ながら顔を出し、嫌いな親父がいなければホッとして、いれば愛想笑いでお茶を濁し、「お願いします」と頭を下げるだけ。

月末になると、お願い営業でバイクの買い取りをしてもらい、それはバイク屋の店頭に座って粘るだけのお願い営業で、販売促進とか企画とかその手の策は何もなく、ただ日々がツライだけ。

これは何かが違う。ひたひたと忍び寄る劣等感。挫折感。絶望感。高卒のバイク屋に負け、ライバル会社の高卒営業マンにも負けた。さらにヤマハの同期である、立命館大学より偏差値の低い同期にもことごとく負けた。とにかく、毎日がつらくなった。

お客であるバイク屋を廻る頻度が少なくなり、車でさぼる時間が長くなってきた。さぼるというか逃げだ。どうすればいいか、誰にも相談できない。相談すれば良かったのかもしれないが、上記のようなことは会社の先輩にも同期にも相談できない。出世のためには、仕事が嫌だ、仕事ができないということは隠さねばならない。

気づけばノイローゼになっていた。現場に配属されて2カ月くらいではなかったか。4月と5月の研修が終わり、6月から現場に出て・・・・あれは8月末か9月の初めだったと思う。メーカー本社の新入社員フォロー面談で、苦しさを隠しきれずに「・・ダメです・・」と弱音を吐いた。

人事担当の顔色が変わるのがわかった。面談でこんな言葉と態度を示してはマズイ。確実に出世に響く。でも、俺は憔悴しきっていた。その後、寮に閉じこもり、初めて出社拒否もした。会社に行きたくない、仕事をしたくない。俺はもうダメかも知れない。

そして入社した10月のある日、私は夢遊病者のように辞表を渡辺所長に出した。

逃げることだけを考えた

「バカ野郎!」

大きな声で怒鳴られ、怒られたのを覚えている。こんな挫折経験は生まれて初めて。もうお終いだ、辞めるしかない、とにかく逃げ出たい。が、先のことは何も考えられなかった。
こんなダメ社員だったが、なぜか慰留され、12月を迎えて2度目の辞表提出。その2カ月の間は何をしていたか全く覚えていない。いや、その2カ月というか、仕事に悩みだした8月以降の5ヶ月間は、まさに悪夢にうなされていたような日々だった。人生で最初のウツだ。

それまでの人生は自分でも上出来。一応の有名大学に入り、学生時代は本を500冊以上読み、少林寺拳法では関西大会に2年連続優勝。大学の勉強はあまり意味がないと思ったので適当だったが、経営学部らしくその手の本はそこそこ読んだ。
当時流行っていた日本的経営の本や、高校時代に亡くなった親父の書棚から「経営学入門」とか経営評論家の三鬼陽之介の本を相当読んだ。まさに文武両道。こんな好青年の大学生はなかなかいないのではと自分でも思っていた。

そして就職は、天下のヤマハ発動機。一部上場企業でカッコイイ有名企業。東大京大や早慶を出て三菱商事や東京海上火災ほどの一流ではないが、自分なりには絵に描いたような成功人生だと思っていた。
それが入社わずか9カ月で退社。それもノイローゼ退社。辞め方も最悪。格好悪い。とにかく、逃げることだけを考えていた。

とにかく、これで大企業で出世するという夢は失った。それに俺は民間企業ではやっていけない。他人を蹴落として自分の利益を追求するということができない。お客であるバイク屋がいらないというのに在庫買い取りをお願いする、ホンダやスズキとの戦い、同期生との戦い、ことごとくダメだった。俺は資本主義社会での民間企業人として失格だ。
そうだ。今さら遅いカモだが、公務員になろう。それも警察官、刑事はどうか。当時「太陽に吠えろ」というテレビ番組があり、悪を懲らしめ、正義を追求する刑事はカッコよかった。少林寺拳法の経験も使える。松田優作でも目指すか。

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-ルサンチマン

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