いつものTSUTAYAカフェ読み。当初の経営コンサルタントから晩年はトンデモ教祖だった船井幸雄の次男が出してる月刊ザ・フナイに「今後も船井総研を資本家の立場で見守っていきたい」上から目線。調べたら母子で2割弱の大株主。船井総研は創業者からサラリーマン社長に変わって業績大躍進中。年商210億経常利益50億時価総額1400億。母子で2割の300億長者か。元々はスーパー等の流通業コンサル会社だったが、現在では住宅・不動産・医療介護・士業・パチンコ・生産財・人材採用等へ多角化。月20万円〜でいつでもクビにできる経営戦略幹部を雇う余力ある中小企業にオススメ。「変わらなければ生き残れないのが不変の法則」大株主は創業家同族のままだが、経営現場には口出しせず、サラリーマン社長以下に完全に任せてる。そんな人材を残したトンデモ船井幸雄の、今は表に出ない最初の独立起業失敗カミングアウトは以下
■「私(船井)の27歳の頃の写真は人相が良くない。つきの悪い油断のならない人間だ。私は世を拗ねていた。騙されて大損をし、借金取りに罵倒され追っかけられ、親戚や友人知人からもまったく相手にされない日々を送っていた。父からは勘当だ!と叱られた。やむをえず経営コンサルタントを名乗りはじめたが、失敗者に仕事の依頼をする人はなく、まともな職もなくお金もない。さらに私のことを心配しながら父が癌で他界した。また妊娠中の妻に失敗の心配をかけ、貧しさの故に十分な栄養も摂らせられず、そのため産後の肥立ちが悪く、幼い子を残したまま先立たせてしまった。妻25歳の時。他にも悪いことが次々に起こり、誰から見ても私はツキのない人間だった。私は世を拗ね妬み、それ以上に自信を無くし、マイナス発想の卸問屋だった。酒にも溺れ、ケンカも売り、より自己嫌悪に陥った。よく病気にもなり、周囲も病気にさせ、それらの人のツキまで落としてしまった。こんな私が考え方と行動を変えただけで、その3年後から急速に立ち直った。それにはきっかけがあった。助けてくれた人がいた。3人の女性のおかげだった。母、妹、3人目は再婚してくれた家内だった」
■以上は船井幸雄の文庫本。買った日付を見ると、私が連帯保証1億円事件や母の自殺などで東京から帰郷した直後か。その直前まで船井総研の子会社にいたこともあり、船井幸雄の本はほぼ全部数十冊持っていた。その後も起業してうまくいかない時が何度もあったが、その都度このページを読み返した。こんな偉大な人でもダメ時代があったんだと。船井さんは2014年に亡くなったが、この20代後半から30才までの履歴経歴は、つまり最初の就職先である安全協会を辞めて「25、6才で独立したが失敗」のことはどのプロフィールにもない。31才で再就職して36才で再び起業したあとは株式上場もして、その後に100億ほどの累積失敗はしたが、後任の小山社長会長が大改革に成功した。さらに創業者と息子を船井総研から追い出した。晩年は経営コンサルなのにスピリチャル系に傾倒し、信者クライアントの多くも狂わせたが、私にとって恩人の一人だ。船井さんの他の本は全部ブックオフしたが、このボロボロな本だけは残した。トキめいたからw
■船井総研のコンサル成功事例■船井幸雄自身最後のコラムは以下コメント欄