「東大AV女優」「日経AV記者」などの肩書きをもつ文筆家の鈴木涼美氏が、自身の体験をもとに綴る“警告”後編である。鈴木氏によれば、会社員としての女性社員の生き様は、大きく分けて「社外評価重視型」と「社内評価重視型」の2つ。前者のタイプだった鈴木氏は、仕事姿勢をフォローしてもらうために社内の人間と肉体関係になった経験があり、毎回、大変悲惨な事態に陥ったという――。
例えば、入社して手始めに寝てみた2人の子持ち、30代の中堅社員は、その後、上司から私を守ったり、なんなら私のために原稿を書いてくれたり、思った以上に有利に働いてくれた。ところが、元AV嬢の職業病も相まって、休憩中に彼の股間を触ったり、みんなのいる飲み会で足でツンツンしたりしていたら、気づけば彼は性の奴隷のように私を欲し、自分が既婚者であることも忘れて求婚してくるようになった。本気になって奥さんと別れようとしたり、私の普段の交友関係に口を出したりと厄介な愛の奴隷を振り切るために私は、最後は生理のふりをして逃げ続ける、という間抜けな結果に終わった。
とりわけ、印象深いのは入社3年目、総務省担当時代に持ち場が一緒になった他社のエリート政治部記者と関係を結んだことだった。
きっかけは配属された総務省の記者クラブの催しでフットサル大会があった時だった。私はボールなど蹴らないが、なんとなく同じ会社の先輩に誘われて応援と大会後の飲み会要員として参加し、その飲み会で初めて彼と名刺交換をした。
そこまではなんの変哲も無い職場仲間なのだが、名刺にある会社のメールアドレス宛に、
「今度情報交換も兼ねてご飯でも行きませんか」
というメッセージをもらってから、何度か麻布十番や六本木などで食事をして、ちょっとした流れで手を繋いだりキスしたりするようになり、そのまま特に理由もなくうちに泊まりに来るようになり、担当記者として全国知事会の取材で秋田県に出張することになった時には一緒に泊まり、知事会を抜け出して居酒屋でデートなどをした。
情緒不安定な既婚男と自分勝手な未婚女
私の方は当初は別に、既婚者とはいえ年もそれほどとってはいないし、フットサルはうまいし、そもそもまだ結婚がしたいわけでもないし、断る理由もなく軽い不倫関係になったというだけだった。しかし、いざそれなりに深い仲になってみると、寝坊して大臣記者会見に間に合わなくても何も言わずに会見の丁寧な文字起こしを重要箇所のメモ付きでもらえるから私はそれをそのまま上司に提出できたし、政治部記者らしい人脈で私が連絡先を知らない政治家との食事の席にもどさくさに紛れて同席させてもらえるし、新人の私にはあてがわれていなかったハイヤーに同乗させてもらえるしで、割と捨てがたい関係になってしまっていた。
いつも以上に仕事をサボっても、本社のデスクからは、「最近、取材メモも多いし頑張ってるな」なんて評価される環境に慣れてしまった私はその関係をやめる理由などなく、彼の方は彼の方で、キャリア志向が強い会社人であり、多忙で冷たい妻との冷え切った関係に疲れていたため、束の間の私との甘い時間は手放しがたいものだったようで、その関係は半年以上続いた。
男性の妻や職場にバレることもなく、いくら趣味と実益を兼ねているとはいえ、私としては別に彼一人に貴重な20代の時間を占領させるつもりはなかったので、その後も誘われれば別の男と遊ぶことはやめなかった。それが結局、彼の心を揺さぶったらしく、情緒不安定な既婚男と自分勝手な未婚女として国会の廊下での無視やSNSのブロックに帰結し、不倫関係は終わりを迎えた。
彼は心のすきまを埋めるものとして私との関係を必要としていたのに対し、私にとっては所詮ちょっとしたお得情報やお得環境目的の関係だったわけで、それは彼をイタく傷つけたようだった。
うっかり間違えれば…
恋愛関係にももちろん利害やコスト・ベネフィットの概念はつきものだ。こと、職場不倫に関しては、プライベートの恋愛関係が仕事に直接的に関係する。そしてそれは、うっかり間違えればうまく利用されたり、職場で不自然に人を無視したりしなければいけない結果を導き、運が悪ければ恋愛と仕事両方が危機的状況に置かれる可能性もある。
この「片方が(恋愛感情ではない目的のため)完全に理性を保っている」不倫関係というのは、もう一方の側にも、ある程度の理性的な割り切りがないと破綻する。
ホステスと客、ジゴロとマダム、愛人とパパの関係において、片方が純愛の如く燃え上がっても、もう片方にとっては業務に近いものだ。それを理解していないと傷ついたり勘違いだと揶揄されたり、最終的にはむごたらしく捨てられたりする。
職場不倫において、ホステスや愛人のようにはっきりした金銭的な目的ではなくとも、出世や採用を目的として身体を明け渡す場合のメンタリティはジゴロや愛人に限りなく近い。
先に指摘したとおり、これは条件を満たせば、継続可能でトラブルの少ない関係でもあるのだ。事務的でつまらない反面、事務的であることを受け入れ、自分の感情さえコントロールすれば、メリットを与え続けている限りは関係が続く。逆に関係を断ち切るのも、容易である。お金を振り込むのをやめれば、関係を暴露されるリスクはあるものの、パパ活愛人は頼まれなくとも連絡してくるのをやめるだろう。
ここまで書いてきてなんだが、別に上手な不倫の仕方を伝授したいわけでもなければ、不倫カップルを擁護したいわけでもない。ただ、性的なことが比較的家庭や地域の関係の中から排除されている日本社会であればなおさら、性を短期間、外に持ち出して満足を得る、という不倫の極意自体はそれほど不自然だとは思わないのだ。
宗教人類学者の植島啓司氏は『官能教育 私たちは愛とセックスをいかに教えられてきたか』(幻冬舎新書、2013)で、「だいたい一人の相手と結婚によって一生結びつくのはいいが、他の相手への恋愛感情まで押し殺さなければならないというのは人間の本性にぴったり合った制度だとは思えない」と述べる。夜の街で、あるいはシティホテルのロビーで、恋心を抱えて挙動不審にうごめくオジサマ方を見ると、深く納得せざるを得ない。
要は、不貞行為をするならするで、それは一応許されない行為だということをもう一度頭に叩き込み、全てを手に入れようとしないことだ。自分の思う通りにしたい、何も諦めたくない、という態度でいると当然それ相応の報いがあるし、そうなったところで誰の同情も期待できない。