マニラのラーメン屋で、顔を合わせた初対面の日本人男性に「500円貸して欲しい」と頼まれたことがある。その人は、ポケットに200ペソ(約500円)しかなく、今夜ホテルに泊まることすらできない、と言う。「クレジットカード限度額を超えてしまっているので使えないんですよ」。私は「他の方に相談されたらいかがでしょうか」というのが当然だと思って、そう言い、心の中では相手を警戒した。
その時、たまたまフィリピン人女性のアンナと一緒だった。彼女はマニラにある日本のマスコミの支社で働いているのだが、「フィリピン人であるあなただったらどうするか」と聞いてみた。彼女は「うん、お金を持っていたら貸してあげたかもしれない」と言う。別にそのお金が返ってこなくても困っている人は見逃せないから、と言うのである。こうした気持ちがアワ(タガログ語で、情、哀れみという意味)である。
日本人だったら、初対面の人間にいきなり金を貸してくれと言われて貸してしまえば、逆に貸した方の常識が疑われる。知り合いでもない人間に借金を申し出るような人間を抹殺していくのが、我々の社会のルールだからだ。
しかし、フィリピンでは金を持っているのに、貸してあげない人間はワラン・アワ(情け知らず)として、人間性を疑われることになる。このため、「フィリピン人は、困った状態にあるものからアワを求められると、通常は拒まない。拒めないと言っても良い。というのも、ワラン・アワと言われたくは無いからである。
これを逆用して、日本流に言えば情にに訴えて頼み込むということがよく行われる。そして、この泣き落としを処理するのがなかなか厄介である」と言うことになる。とにかくフィリピンではこのアワのおかげで四面楚歌になるという事は無い。むしろ四面から助けが来る。※「神様からの贈り物〜フィリピン路地裏の日比混血児」浜なつ子・1995年刊