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豪州のプロサッカー「コニストン」で活躍中

ユナイテッドはチャンスが殺到し続けたが、34分にコニストンのセンターバックのカヤノタカユキが滑り込み、ナスティックを越えてボールを押し込んだ。防御の争いだった。by翻訳アプリ■オーストラリア・サウスコースト・サッカーリーグ戦2021・5/9■記事詳細は以下

大山倍達正伝

  「私はね、結婚に失敗し、娘の教育も失敗しました。きみ〜、このままじゃ極真は潰れてしまうよ。10年後、全国の支部長の3分の2が50歳を超えるんだよ。極真は老人の組織になってしまうよ。国も会社も老人たちが支配する組織は必ず崩壊します。いま極真が直面している危機がここにあるんです。極真に老人は私1人だけで良い。支部長を世代交代させて、組織全体を若返らせなくてはならない。だから私は毎朝、こうして極真会館全国支部勢力地図をみては、その方法を考え続けているんだよ。徳川家康が大名の改易や転封の方便を考え ...

一風堂があの麻生グループより資金調達

約35億調達「やりましたね。抜群の安定感。IR情報見ましたよ。正直ホッとしました」「まぁ以前から知り合いだったんで」「国内は、、。海外からガンガン攻めるぜ!」「まぁとにかく良かった」スマホ談義 ■博多ラーメン「一風堂」を展開する株式会社 力の源ホールディングス(本社: 福岡市中央区、代表取締役社長:河原 成美)が、株式会社麻生(本社:福岡県飯塚市、取締役社長:麻生 巌)に対し第三者割当を行い16億46百万円を調達する。払い込み期限は5月31日。 <関連記事> 一風堂、パンダエクスプレスとの合弁を解消。商業 ...

こんな悲惨?なビジネス書がベストセラー

まさかのベストセラー第六弾!ヨボヨボ介護日記が4月に出てもう5刷!成功や自慢話でなく、交通誘導員、ガスメーター検診員、旅行添乗員、マンション管理人など、現場の悲惨な?実録日記本がバカ売れ中! ■新刊レビュー https://is.gd/AlPUys ■6月缶ビール会・浅草6-36-6-603 ■LINEやZOOM等で無料雑談歓迎! ■動画で質疑応答 https://is.gd/VKDTqR ■下品な講演 https://is.gd/9mociX ■講師します!リアル+オンラインで ■YouTubeチャンネ ...

成功事例と熟年離婚と婚活についての考察

成功事例と熟年離婚と婚活について  

竹田陽一からメッセージ

私、竹田陽一個人の話ですが、 6月13日にコロナワクチンを接種しました。副作用は少しありましたが、元気です。 ☆竹田陽一「営業昔話CD」お知らせ☆ 皆様のご協力で思っていたよりも多く売れました。そこでこのCDをお買い上げ頂きました方々を対象に、ZOOMによる感想と、竹田に対する質問の会を開くことにしました。実はこの話は栢野さんから出たものです。ご参加、お待ちしています。 日時7月9日(金) 15:30~17:00 参加人数先着10名様 参加料は無料です。 申込先は、ランチェスター経営迄。 【必須入力】会社 ...

プノンペン在住のモデル見習いです。

【お仕事募集】プノンペン在住のモデル見習い26歳タリーです。FB友達の私が勝手に告知w。独身165㎝45㎏。広島で5年の農業技能実習生経て2020年12月に帰国。日本語カタコト。歌も上手い?出演料はお試し1万円〜数万円応相談。問合せは私かタリーへ直接も。SNSメッセンジャー教えます。 https://yumesenkan.jp/wp-content/uploads/2021/05/IMG_7641.mp4 FullSizeRender FullSizeRender

追い込まれ、本の出版にチャレンジ

こうして事務所に閉じこもり、3月の中旬までになんとか24名の人生逆転物語(+約50人の短い実例)をまとめました。本にするには充分な量です。実は24人中、10名前後の物語はすでに書いていました。過去3年、毎年3ヶ月程度で本を書くのに挫折してましたが、気づけば10人分は溜まっていたんですね。三日坊主、三ヶ月坊主、三年坊主と挫折しても、また再開継続すれば「チリも積もれば山となる」ですね。 しかし、全体の構成がどうもうまく行きません。作家・中島孝志さんの「40歳からどう書くか」という<本の書き方本>を読んだり、市 ...

豪州で活躍する日本人サッカー選手・栢野敬之

親バカ失礼。表紙に日本人!長男の栢野敬之です。豪州オーストラリアのサッカー開幕!たぶんディビジョンの低いチームですがw。でも「夢はサッカー選手」叶えたね。あっぱれ!平均引退26なんで次へ!光通信ワタミ等の良いブラックへ転職! ■Wiki FFAカップ(英語: FFA Cup)はオーストラリアで開催されているサッカーの国内カップ戦である。大会名はオーストラリアサッカー連盟(略称:FFA)にちなんで名付けられており、FFAが組織、運営を行っている。大会には国内のトップディヴィジョンリーグであるAリーグ所属のク ...

夢を見る書く人生計画や経営計画のパワー

夢を見る・人生計画・経営計画を書く宣言する意義。ちなみに大企業上場企業は100%やっている。悔しいが。特に上場企業は毎日がバッシングされるのでとてつもないパワーが。

ルサンチマン

第十三章 自滅

独立へ

 こうしたサラリーマンとしては過去最高の時期を過ごした後、1995年の8月15日に、福岡市中央区舞鶴のマンション事務所で独立した。その前月の7月25日には長男敬之が誕生。良いプレッシャーとなった。

 前述のように、仕事はアド通信社時代をそのまま引き継いだので、初月から売上も500万円以上、粗利も100万円近くあった。毎月の借金返済に30万円、その他事務所と自宅の維持に約70万円かかったので、なんとか最低限の生活は出来た。

 聖心美容外科を中心に、約30社の販売促進と求人の広告代理業務。お客を訪問して取材し、広告文案を考えて執筆し、それを元に広告枠をデザインして版下を作成し、各媒体の出版元に納める。このうち、デザインと版下作成は、アド通信社の伊藤さんに依頼。その他の営業活動とコピー文案作成作業は、妻の助けを借りながらやった。

 電話応対や事務も、出産したばかりの妻がやってくれた。事務所押し入れにベビーベッドを敷き、足でゆらしながら事務をした。子供が泣いているときに電話が鳴った場合は、受話器を持って外に走った。仕事場と保育園が一緒になったドタバタ事務所だった。

 この独立当初、筑紫学園・井上さんの紹介で「アジアビジネスセンター」のパンフレット作成に携わった。社長は新日鐵でテーマパークを開業し、その後は福岡ドームの副社長を務めていた瀧本さん。アジアと九州を結ぶ総合コンサルティングセンターを創ろうと内外に呼びかけ、地場大企業等50社から約3億円の出資を集め、専任職員10数名、社外コンサル50数名など、地方のコンサルシンクタンクとしては壮大なスタートを切った。

 8月ごろから構想の具体的実行に加わり、最終的には12月の年末にパンフレットや名刺封筒、ロゴマーク一式などが完成。総額約700万の受注で粗利は150万ほどだった。身に余る仕事を頂いたが、大所帯での新規事業で広告物の変更も多く、私の実力以上の心労が続き、終わった時は消耗していた。

 1996年の初めからは、東京時代にバイトしていた出版社・ビジネス社の福岡地区営業代行業務を請け負い、月に1週間ほど、福岡と小倉の本屋さんと東販・日販などの問屋を廻り、新刊本の事前受注や既刊本の補充営業などをした。

 しかし、これは昔のダメだったヤマハ発動機やCSLと同じく、お願い営業的なルートセールスになり、結局半年程度でウツ気味になって辞めた。俺は本当にダメだなあと落ち込んだ。

(しかし、この7年後に自分の本を出した時、本屋さん相手の営業PRでこの時の経験が生きた。人生に無駄はないのだ)

調子に乗ってケンカの連続

 その後、聖心美容外科の仕事は毎月コンスタントに700万円ほどあり、何とか食うには困らなかったが、悶々とした日々が続いていた。

 1997年の春、会社を増資し、有限会社から株式会社にした。お客や友人知人に一株10万円の出資をお願いし、最終的に30人の経営者や友人が出資してくれた。そのキッカケは天下の角川書店とのケンカだった。

 角川書店の「九州ウォーカー」創刊号に1000万円を超える広告を受注をしたのだが、角川からインタークロスみたいな無名広告屋には口座を開かぬと通達されカチンときた。 そんな大企業権威主義なら、こっちも地元名士の名前を借りようと、明太子の<ふくや><やずや><ランチェスター経営>などそうそうたる株主を揃え、その上で交渉しようとした。その後、口座の件はどうでもよくなり、他の代理店を通して入稿した。

 また、その年の夏、元の勤務先であるアド通信社と大喧嘩をした。お客をアド通に取られたかどうか忘れたが、カチンときた私は仕返しをしようと決意。アド通と折半していた大口クライアント・聖心美容外科の仕事を強引に奪い取った。

 これで売上も月商1000万円を超え、個人事業としては大成功だ。
「ざまあみやがれ!」
 この頃から傲慢不遜の塊のような言動が増えた。もう誰も止められない。

 秋には日本青年会議所からの依頼で、大規模な起業家パネルディスカッションの企画コーディネーターを務めた。講師にホワイトデー創案者「石村萬盛堂」石村社長、キャナルシティを創った地場最大のデベロッパー「福岡地所」の榎本社長、日本一の中小企業経営戦略コンサル「ランチェスター経営」竹田社長、九州一の宅配鮨「ふく鮨本舗の三太郎」蔀社長らを選出。バカのクソので討論を盛り上がらせて大成功。俺は天才だと思った。

自滅

 このイベントで調子に乗った直後、聖心美容外科の山川院長と、広告版下物の色校(色のチェック)で意見がかち合った。

「これでいきましょう」
「いや、栢野さん、これはダメですよ」
「いや、これでいいと思う」
「でも、デザインと色がどうも・・・」
「・・・・・・・・・・・・」

 私はキレ、自分でも思いもかけぬ言葉を言い放った。
「もう勝手にしろ!俺はお前のところの広告はもうやらん!」

 数ヶ月前ほどから、聖心美容外科の仕事はマンネリしていた。毎回広告コピー文の作成に苦しみ、新しい案が出ずにワンパターンの繰り返し。この程度の仕事で毎月1000万近い受注を貰うのは心苦しい。何やら申し訳ない気持ちもあった。潮時。そんな考えも頭をよぎった上での、発作的な自殺行為だった。

 翌月から売上は9割ダウン。それほど聖心美容外科の仕事に依存していた。社員は俺と妻以外はバイト一人だけだったが、他の仕事をする余裕は充分あった。もっと新規開拓せねば。しかし、現状は充分食えている。そこに甘えがあり、改革を怠っていた。

 月の売上は1000万円から100万円と激減し、粗利も250万円が30万円になった。事務所と自宅の維持費に加え、借金返済で月に120万円は必要だったので、資金繰りは一気に苦しくなった。

 まあでも、なんとかなる。元はゼロからスタートしたこの身だ。また一から始めればいいと、職安や求人誌をリストに求人広告等の新規開拓電話や飛び込みをしたが、ほとんど売上が上がらない。数件断られると落ち込み、営業活動をしていないに等しかった。

 当時39才。新規開拓・飛び込み営業をするには歳をとった。広告の新規開拓営業マンは大半が20代や30代前半まで。今さらそんなみっともないこともできない。そんな恥ずかしさも出てきた。

 また、前のアド通信社は地場では有名だが、インタークロスは全くの無名。独立して初めて新規開拓し、「インタークロス?知らんねえ。求人?うちはOOに頼んでるからいいよ」の連続で、知名度の無さに打ちのめされた。

 リクルートやアド通時代はそこそこの営業実績が上げられたが、それは会社の知名度のおかげで自分の力ではなかった。かつ、新規開拓で断られてもガンガン前に進めたのは、職場に同僚やライバルがいて、切磋琢磨できたから。うるさい上司とノルマがあったから。

しかし今は、事務所で営業するのは自分独り。張り合いも何もない。出来ても出来なくても、誉められないし叱られない。会社にいるサラリーマン時代は気づかなかったが、組織の環境・強制力が個人の力を後押しするのだ。自分で自分を鼓舞するのは難しい。

 しかし、広告営業以外に稼ぐ手段は見あたらない。でも、新規開拓で断られるのが恐く、こんなことは無駄だと足も心も動かない。当然、預金残高はどんどん少なくなっていった。

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-ルサンチマン

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