最新エントリー

日雇い筋トレダイエット セブンイレブン向け工場

念願のセブンイレブン向け食品工場に潜入日雇い。以前行った山崎パンやマツエツスーパーと同じく、衛生管理処置が超絶厳しい。手指手洗いやトイレに行っても一定秒数以上手かざし消毒せんとドアあかない。■休憩時間にユニフォーム脱いで、マスクや靴もゆるめて歩いてると、社員や古株パートから連続で指摘叱られまくり。ここも工場ラインでは嫌味な注意指導言い方や即キレする奴が複数いました。■が、ノロや食中毒出すと、下手したら年商数百億がパーに。巨大なセブン専属?下請けメーカー凄いっす。感心感服です。たぶん手抜きな中小は見習うべき ...

久々のアナログ講演+接近戦

業界のニッチ分野で地域No. 1+目指すアナログ接近戦な勉強会でエラソー講師。静岡、埼玉、千葉、栃木、茨城等から社長や後継者が集まって一泊二日。事例100連発以外に、人生の夢や経営計画を書く簡単なワークシート入れてたら、主催の冨山塗装・冨山さんが強く反応。「イイ機会なので事前に書いてもらい、セミナー後に再度見直しワークを皆でやってみます」。3時間あっという間に終わり、居酒屋飲み会で各自の自己紹介と夢やホラを発表。某バツイチ父子家庭社長の娘さんが秋葉原のメイド喫茶で店長に!おーそりゃ凄い!一回で100万40 ...

翻訳・中国本土版が出ます

あざっす!中国本土版が出ます。韓国と台湾とKindle含むと4万部強。これで他の拙著含めベトナム語とインドネシア語に日本語で世界6カ国で出版。「アルケミスト〜夢を旅した少年」がブラジルで20万部→スペイン語や英語や日本語等世界38カ国で翻訳計1億5000万部へ。ってな夢は諦めてません。まぁ読者市場小さいビジネス書じゃ無理なので、巨大市場=大衆や女性にもウケる感動創作小説、、全く無理w

ユニクロ創業の安かろう悪かろうの頃

柳井さん肉声ユニクロ創業〜安かろう悪かろうの頃。私が初めてユニクロで買ったのは1995年頃。すぐボロになって驚いた。それを承知の上で柳井さんはやってたんだ。客も。不良品売っても稼ぐ。そういう度胸が必要な時はある?オレは騙しウソダメw ■1984年ユニクロ1号店の商品は、当時全盛だった岐阜のメーカーものが中心で低価格、これがベースで、インポート商品を目玉にしていた。どちらかと言うと品質より値段優先だった。ほとんどがメンズのティーンズカジュアル専門店といった品揃え。郊外店を出し、1号店と同じ品揃えをしたのだが ...

テレ東の中小企業奮闘番組グロースの翼

【嫌な客はこちらから切る】中里スプリング製作所(群馬県高崎市)▼「町工場だからといって卑屈になるな。嫌な客はこっちから切る」――。群馬県に本社と工場を構えるバネ専業メーカーは、下請けを見くだす企業との取引を停止する独自の経営スタイル。その一方、腕ほどの太さのものから髪の毛より細いものまで、多彩なバネを取りそろえ、臨機応変に対応しています。 【廃業を見据え共尊共栄】武蔵境自動車教習所(東京都武蔵野市)▼「経営理念は(共存共栄ではなく)共尊共栄です」――。春の足音が聞こえ始めると自動車教習所のかき入れ時。 ...

香港の重慶大夏とタンザニア商人

Amazon■香港のタンザニア人ビジネスマンの生活は、日本の常識から見れば「まさか! 」の連続。交易人、難民、裏稼業に勤しむ者も巻きこんだ互助組合、SNSによる独自のシェア経済…。既存の制度にみじんも期待しない人々が見出した、合理的で可能性に満ちた有り様とは。閉塞した日本の状況を打破するヒントに満ちた一冊。 という切り口で零細商人の日常を描いたエッセイ。オレもマネしようw 香港在住タンザニア商人ブローカーの実態ドキュメントエッセイ本。2019年7月発売で15刷。推定5万部〜ベストセラーで大宅壮一ノンフィク ...

スパルタ餃子の王将の成功要因

以下の店長研修YouTubeは必見。感動するわ。成功の半分はコレやな。私の大学卒論は「餃子の王将〜繁盛の研究」久々食うとやっぱ美味い。餃子は高級中華や中国でも食べたが、やっぱ王将が一番。学生時代から舌が洗脳されてる。鬼辛ラー油で激辛に。余った餃子のタレは全部飲む。プラス思考のゼミ先生から「カヤノ君は王将に就職しては?」と本気で言われたが、その勇気はなかった。当時の京都で稼ぐなら佐川に王将、京セラは狂セラと言われてた。餃子早食いの王将がまさか東証1部上場企業になるとは。コロナでも年商800億で営業利益60億 ...

ジャパネットの凄い創業秘話

凄い。貴重な創業秘話。人生を変えた5分間。「ラジオで喋って通販してる会社が佐世保にあるよ。伸びてるんだよ」1992年に福岡へUターン転職した広告代理店で噂を聞いた。その後はテレビ通販に広げ、一気に全国区に。話が上手い!でも買わん。ヨドバシやビッグカメラの方が安いかも知れんし、なんか寅さんみたいな怪しい縁日の香具師(ヤクザ系多し)な口八丁手八丁で。これで買うのは比較検討しない右脳情弱女シニアだ。疑い深い左脳男はほぼ買わん。必要ないのについ買う買わせる悪徳だ。今でも思うが大成功。 以下日経ビジネス有料会員限定 ...

コロナワクチンで死にかけた友人の実話

【ワクチン副作用で重体】1/10万人の確率だが 友人がワクチン接種2回目直後、重篤な血栓で倒れてICU集中治療室で壮絶な入院後に復帰した全記録↓ ※「ワクチン 血栓」で記事多数 中村律子です。 ■これからワクチンを打つ方に大切なメッセージです。<要約>ワクチン接種1ヶ月は下記のことを注意。血栓ができやすくなる場合があります。 対策は ①水分を十分にとる ②座りっぱなしはNG(せめて1時間に1回は立って歩いたり、足踏みを!) 私は、ワクチン接種後5日目の、9/9〜9/29 21日間突然入院していました。ワク ...

日雇いやってみた

すごい日雇い労働ダイエット!さらにプライド捨てる修行。防塵衛生管理ちゃんとしてる埼玉県郊外の某化粧品メーカー下請け物流センターで、無料サンプル品送る小さな段ボール箱の組み立てと、大きな段ボール組み立てガムテープ作業を立ちっぱなし8時間!1日で2キロ弱痩せた!流れ作業でサボれない(コレ大事)強制労働で1万円貰って画期的なダイエット!私はフルキャストシニアに登録して日雇いのみ。常時雇われるのはイヤなので。今日もいたな。底辺肉体労働現場の嫌味な上司。いきなり怒鳴る「命令口調」が頭に来る。到着時の服装チェック男3 ...

成功事例

ユニクロ創業の安かろう悪かろうの頃

柳井さん肉声ユニクロ創業〜安かろう悪かろうの頃。私が初めてユニクロで買ったのは1995年頃。すぐボロになって驚いた。それを承知の上で柳井さんはやってたんだ。客も。不良品売っても稼ぐ。そういう度胸が必要な時はある?オレは騙しウソダメw

■1984年ユニクロ1号店の商品は、当時全盛だった岐阜のメーカーものが中心で低価格、これがベースで、インポート商品を目玉にしていた。どちらかと言うと品質より値段優先だった。ほとんどがメンズのティーンズカジュアル専門店といった品揃え。郊外店を出し、1号店と同じ品揃えをしたのだが、客層が変わったのが分かったので、商品も徐々にベーシックなもの、幅広い客層向けシフトしていた。

カジュアルウェア=普段着は、いつでも誰でもどこでも自由に着られる服装。普段着として単品の完成度をあげれば、どんな服装にでも合わせられる。上から下までユニクロで揃える必要は無い。他のブランドと組み合わせることができる。こうして、男女の別なく着られる無理セックスのカジュアルウェアが大量に売れれば、大成功のはず。現実はそう甘くないのは承知の上だが、できればそんな商品を自分たちで作ってみたいと思い始めた。3号店、4号店を出した頃だった。

メーカーから仕入れてくる商品は、安いが品質は二の次だった。商品が出始めると、メーカーを経由して海外で作ってもらうようになった。その段階では、品質管理体制が整っていないため、どうしても不良品が含まれてしまう。仕入れ値が低いので、まともな商品をきちっと作ろうとすると生産工場は儲からないからだ。こうなったら自分たちで本格的に生産管理をし、現地で直接作らないとだめだな、と思うようになっていた。

■ユニクロ1号店を出す前の1980年頃、アメリカの大学生協に立ち寄ったことがある。学生が欲しいものをすぐにでも手に入れられるような品揃え、それでいて接客が入らない。セルフサービスだ。フランクなと言う商業的な匂いがしないし、買う側の立場で店づくりされている。本屋やレコード店と同じようにすーっと入れて、欲しいものが見つからない時は気楽に出ていける。こんな形でカジュアルウェアの販売をやったら面白いのではないかと思った。

ただ単にセルフサービスと言うと「わが社は経費節減のためにやっています」と言う感じがして嫌なので、お客様の要望としてのセルフサービスの店が理想だ。それがわが社のモットーになるヘルプユアセルフ方式だった。

本屋やレコードショップを求められない限り、接客はしない。その分、お客様の欲しいもの欠品しないようにする品揃えする。そういった買いやすい環境を作ることに手すれば良いのだ。欧米のカジュアルショップでも接客はしていたが、なるべく接客することなくカジュアルウェアを得る。こんな店を作れないだろうかと考えていた。

■1980年代に入るとアメリカではリミテッドとかギャップとか、チェーン店として売り上げ数千億円とか1兆円を超えるような目覚ましい伸びをする会社が現れた。同時に、巨大スーパーやディスカウントストアなどのセルフサービスの店が伸びてきた時期である。

1983年前後には、日本でもDCブームが巻き起こっている。つまりデザイナーブランドやキャラクターブランドの高価な洋服が売れ始めた時期でもあった。だがDCブランド商品は、10代の子供たちには高くて手が出ない。

10代の子供たち向けに流行に合った低価格のカジュアルウェアを、セルフサービスで提供できないだろうか。次第に店舗と商品のイメージが固まっていた。いつでも服を選べる巨大な倉庫と言う意味も込めて、店名「ユニーク・クロージング・ウェアハウス」も決まった。

■店舗を徐々に増やしていったら、資金繰りはいつまでたっても楽にならない。低価格を売り物にしているので商品の回転数が勝負だ。当時は金がないので、すぐに売れそうな商品を仕入れ、早く売る。売れないものはシーズン中に値下げしてでも振り切る。決して翌シーズンまで持ち越さない。商品バイヤー毎週、岐阜、名古屋、大阪のメーカーの問屋を回って、見切り品を仕入れてくることもあった。当然、100%買取だ。店が増えていくので、売れ筋商品を確保するのはますます大変になる。

従来の衣料品業界では、民間や卸業者の企画した商品を選択肢でバイイングし、委託販売する方式が一般的であった。委託販売方式が、商品が売れ残れば返品可能で、小売業者にとってリスクが少ない反面、リスク回避の分だけ仕入れ原価に上乗せされるために粗利益は低い。それを維持しようとすると売値を高くせざるをえない。

結果、少々高い買い物をする可能性がある。また、商品企画がメーカーや卸業者主導になりやすいため、小売店舗での商品構成に一貫性がなくなり、かつ販売価格もメーカーや卸業者の指示に従わざるを得ず、小売業者は自由な価格設定もできない状況だった。

販売価格を小売店がコントロールするためには、別注を増やすしかない。店舗数を増やし、バイイングパワーを作るのと同時に、自主企画商品をメーカーへ製造委託する方式=別注を取るしかないのだ。海外メーカーに委託するには発注量がまとまらない届けてくれない。おまけに、メーカーへの返品は不可なので100%完全買取になる。リスクを全部自社で背負いこむことになるので、売れない商品を企画発注してしまうと、当然命取りとなる。

1985年のプラザ合意以降、円高が進む。1986年から急激な円高となり、メーカー品やブランド品が安く売られても良いはずなのに、現実はそうならなかった。

■そんな時、小売店の視察をしに香港へ行き、「ジョルダーノ」のポロシャツが目に止まった。低価格の割に品質が高い。「これだ!」と思った。ジョルダーノ創業者のジミー・ライ氏に会いに行った。

もともと彼は、アメリカの衣料品専門店チェーン(リミテッド)のセーターの生産も請け負っていた。彼は、僕と同じ年齢。失礼を承知で言うと、「ぱっと見はたいしたことないおっさんが大した事やっているな」と言う感じだった。この人にできて、僕にできないはずはない。そう思った。彼からは「商売には国境がないこと、製造と販売の境がないこと」を学んだ。

中国共産党の革命が起きて、上海近郊で工場を経営していた人々が、中国本土から当時英国が装飾していた香港に逃げてきて、香港や東南アジア1年に工場を作り始めた。そこに欧米のバイヤーがやってきて、商品を企画発注する。輸出が増えていく。こんな構造になっていった。香港のメーカーには合理とメーカーの境がなく、欧米のブランド品の請負工場やりながら氷もしている。僕らが日本でやっている商売よりももっと進んでいて、こちらの方がはるかに成長性が高いのではないかと気づいた。自分たちもそういうことをやらないといけない。僕の場合は小売出身なので生産はできないが、メーカーに委託した場合の生産管理は可能だ。可能と言うより、品質の高い商品を作るためには必須なのだ。

まず、1987年にはユニクロオリジナル商品を手がけてみようと思いだす。社内にはデザイナーのパタンナーもいないので、仕様書は手書きでいい加減なもの。これをメーカーに製造委託する。まだ生産管理はこちらでできないため、メーカー品に負け、最初に付けた価格で忘れずに、結局、値下げ販売が多くなった。海外ブランド品をディスカウント価格で打ち出し、チラシで訴求する、と言うスタイルはしばらく続く。1988年3月には香港に商品のバイイング事務所を作り、現地法人香港の人と合弁で立ち上げた。

後の話だが、生産管理の担当者を募集したところ、スポーツ用品メーカーに勤めてはいたが、その会社の中では傍流と言えるアパレルの生産管理経験者の古谷さんが入社してくれた。1993年1月のことである。その後、彼を慕って同社から3人が次々と当社に転職。その人たちを中心に中国に駐在してもらった。自分たちで商品を作る環境が整い始めた。

\ スポンサーリンク /

オススメ

-成功事例

© 2022 人生は逆転できる!