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あざっす!増刷28刷15万部へ

あざっす!ロングセラー22年目で計28刷。たぶん15万部は超えたか?韓国台湾翻訳やKindleも含めれば。当初はゴーストライターの話だったが、ダメ元で共著のお願いFAXすると5分後に「あーイイよ。栢野さんが書くんだから、あなたの本として。私は監修で小さく名前が出ればイイよ。最後に教材紹介のページ入れて頂戴w」まぁ宝くじが当たったようなもん。狂ったね。勘違いして。この数年は文学系直木賞目指したが、小説=創作作り話のセンスはゼロと判明。森永卓郎のような陰謀論でも書くかw。8月は大阪で久々に講演。詳細やAmaz ...

大阪セミナー+懇親会20240804

栢野克己さん講演会(ゲスト中小企業診断士マキノヤ先生)@大阪 大阪市中央区本町1丁目4−5 | By 学んで、実行して、人脈を広げよう!交流会@大阪 カテゴリー ベンチャー/スタートアップスタートアップ起業中小企業自営業 イベント詳細 ビジネス出版計8冊、売上総数27万部(アジア翻訳含む)、 またFacebookなど有名でいらっしゃる、 弱者の戦略・ランチェスター戦略の第一人者、 そして破天荒武闘派!?の 栢野克己(かやのかつみ)さんを大阪にお招き致します。 https://yumesenkan.jp/ ...

衝撃の結末「サイゴンから来た妻と娘」近藤紘一

衝撃の結末◾️羽田の記者クラブにいた時、サイゴン支局の近藤紘一から「家族が行くのでよろしく」と連絡があった。「サイゴンから来た妻と娘」はその日の夕刻、羽田に着いたが、彼女らはもうすぐ消滅する南ベトナムの旅券を持っているだけで、日本の入国ビザはなかった。近藤との結婚証明書もなく、入管を説得して2人を仮上陸させるのにずいぶん苦労した。そんなこともあって帰国してからの近藤とあれこれ話をするようになった。サイゴンで結婚した妻ナウのことも結構詳しく話してくれた。どこかに書いていたように、ナウはベトナム人の夫がいて、 ...

小さな会社向けセミナー③

小さな会社向けセミナー②

小さな会社向け3日連続セミナー①

兵庫の青年会議所でセミナー講師

昨夜は兵庫県の龍野青年会議所で「小さな会社の稼ぐ技術」成功事例のウラ話100連発!参加者のノリが良く、私も最初から調子に乗って脱線しまくり。でも本も全部売れた。あざっす!動画は以下コメ欄に。 たつの市人口7万人だが、日本一の揖保乃糸やランドセルのセイバン、ヒガシマル醤油の本社も。以下商工会議所のサイトより ◾️ 龍野には醤油・素麺・皮革と伝統的な三大地場産業があります。 醤 油 龍野の醤油の起源は1587年。龍野が発祥の地である淡口醤油は、色が薄く煮た食材に色が付かないため、精進料理や茶懐石料理に最適とさ ...

インドの路上火葬場に来て見た

以下2枚目の写真に足が。インドの路上火葬場ガンジス川のワーラナーシー202306月

インドの路上火葬場ガンジス川ベナレスへ

インドは貧しい。平均月収2万円は東南アジア以下。でも世界一の人口14億人ステイハングリーパワー凄い。仏教のブッダやイギリス首相の他、Google、Adobe、Microsoft、IBMのCEOもインド人。頭はイイし英語ペラペラで安い労働力は中国を軽く超える。アメリカも抜いて2050年GDP世界一あり得る。首都ニューデリーと路上火葬場バラナシ4-5日程度歩いただけだが。インド人優秀説は検索で沢山

バンコクのスラムへ潜入

小さな会社の稼ぐ技術 成功事例

孫正義「強者の戦略」「弱者の戦略」使い分けが凄い

https://youtu.be/jC2hSkhBBVk

すごい28歳の孫正義セミナーCD聴きながら。いや〜買って良かった。私の講演ネタにと期待してた経営戦略用語も出てきたが、私は25年間勘違いしてた。間違ってた。たぶん、皆も勘違い。ランチェスター戦略=弱者の戦略。は半分間違い。孫さんは25-6の頃に本読んだだけで熟知。私は20年間本も出してエラソーに講演で紹介してたのに間違ってた。アホの極地。「ボクはランチェ竹田さん20年間大嫌いだった」と言った一風堂河原さんも誤解してたが、結果として嫌いで正しかった。読解力実行力頭の差だw

■ランチェスター法則は、第一でも第二でも、「強い者が勝つ」だからこそ、ナンバーワン=強者を目指すという理論なのだと思います。弱者の戦略とは、「小さな市場で強者になること」かと。byプラスソフト竹花さん

■昨日は、博多でセミナー登壇。セミナー後に、ビジネス書の世界では、大ベストセラー作家と呼んでいい、栢野さんの事務所に突撃!

ランチェスター経営について、お話しさせて頂く。栢野さんは、広告代理店から作家兼講演家になった人で、竹田陽一先生が師匠という事もあるが、とにかく事例をよく知っている。事例の生き字引と言って間違いないだろう。

栢野さんは、今、ソフトバンクの孫さんの若い頃の音声を聞いているが、これが非常に良いとの事。誰でもそうだが、あまりに成功してしまうと、昔の事は言いづらくなる。ソフトバンクも今や日本を代表する大企業。スマホ代も横並びで、YahooBBの様な業界をひっくり返す様な無茶はやらない。でも、創業の頃は凄い。我々凡人にはとても思いつかないアイデアと行動力で、瞬く間に成長していった。その過程を知るのに、牟田さんの経営合理化協会から出ている、おそらく唯一と言っていい公式CDは珠玉だ。天才とは、こういう人の事を言うのか?と衝撃を受けるだろう。

栢野さん曰く、創業時は、孫さんも弱者の戦略を取っていたと思われていたらしい。それが、今、昔の音声を聞きなおし、強者の戦略を取っていたと気づいたとの話は、非常に面白い。中小企業や独立開業時は、弱者の戦略を取るのが普通だから。でも、孫さんは、始めから、強者の戦略を取った。なぜか?ライバルがいなかったから。NTTという、強い巨大なライバルがいる市場に参入した時は、当然弱者の戦略。NTTが絶対にやらない、出来ないモデムの無料配布。その場その場で弱者の戦略と強者の戦略を使い分ける孫さんは、やはり天才だと思った。

それにしても栢野さんの情報収集に掛ける情熱は凄い。週刊文春も真っ青である。栢野さんの最新刊は下記。Amazonでもベストセラーである。ここまで、細かく事例を紹介した本は、見た事がない。中小企業の経営者は必読です。

栢野さんは事例に強い。恐らく中小企業の事例は、日本で一番詳しいのでは?これも栢野さんならではの弱者の戦略だそうだ。ランチェスターと言えば、師匠の竹田陽一先生がいる。ランチェスターの本を書いても、師匠には勝てない。しかし、事例なら、自分の方が知っている。そこで、事例に特化した本を書いたとの事。

やはり、直接会って、本人から話を聞かなければ深いところはわからない。本心や本音を聞いたうえで一読したり、講演を聞けば、さらに理解が深まるのは言うまでもない。良い話しを聞いた、で終わるのではなく、いかに自分事にするか?そのためには、著者本人の思いを聴く事は、非常に重要な事だと考える。byサイトウジムキ斎藤さん

◆これは最近「孫正義 300 年王国の野望」2017年
杉本貴司 日本経済新聞記者

創業期を支えた 10 人の恩人 「当時の肩書」 と 「ソフトバンクとの関係」
■佐々木 正(シャープ専務)~ 孫が学生時代に開発した電子翻訳機と契約。孫が初めて受け取った契約金 1 億円
■浄弘 博光(上新電機社長)~実績のない孫との大型取引を決断
■藤原 睦郎(同上営業本部長)無名の孫を見出し大型取引の橋渡し
■工藤 裕司(ハドソン社長)~ 展示会で出会った孫と弟・浩を繋ぐ
■工藤 浩 (同上専務) 社長の兄に独断でソフトを独占供給
■御器谷正之(第一勧業銀行麴町支店長)~実績のない孫に 1 億円無担保・最優遇のプライムレート融資に奔走
■田辺 聰(東京旭屋書店常務)~出版のイロハを教え、業界の要人を紹介
■清水 洋三(内外データーサービス営業部長)~孫が勝負をかけた大阪エレクトロニク スショーで最初の出展者
■川島 正英(朝日新聞論説委員)~政財界の大物を孫と引き合わせる
■大内 淳義(NEC副社長)~大赤字の雑誌の広告費を半分負担等側面支援

{ 第一章再起動 } 二度目の買収

アームの売上年 2 千億円未満なるも世界中に流通するスマホの 90%以上はアーム の回路技術が使われていた、2016 年7月 18 日3、3 兆円でソフトバンクは買収を発表、 又 30 年後には時価総額 200 兆円にすると。

2000 年 6 月半ばアーム買収の検討に着手、この時は 2 兆円近い金額でボーダフォン 日本法人を買収したばかり、孫の発想の参考はロックフェラーが設立したスタンダード・ オイル社が米国の石油業界を支配するプラットフォーマーとなり油田だけでなく、その 他運搬手段であるパイプライン等輸送網の建設まで手掛けた事、アームも半導体産業 を回路設計という形で裏から牛耳るプラットフォーマーになりうると。

2015 年秋買収したスプリントの再建出口がようやく見えてきた頃、アームが毎年開く技 術会議の講演でセキュリティ技術を全てのプロフェッサーに搭載していくと発表、孫はこ のマニアックなニュースを 「アームは本気でIOTに挑むつもりだ」 と解釈した、あらゆ るものがネットに繋がるIOT時代ではいかなる産業もサイバー攻撃のリスクに常にさらさ れ、その為に先手を取って対策を講じると宣言したと孫は受け取りいよいよ決意を固め た、2013 年にはシーガスがアームのCEOに就任、 P 1

2015 年にはロンドンで孫は昼食を共にした、2016 年シリコンバレーの孫の自宅に招き 3 時間に及ぶデイナーの席で 「IOTの重要さを認識しているならもっとガンガン投資し て今こそ攻めるべきでないか」 との問いかけに 「我々は上場企業だ、なかなか市場 に理解して貰えない」 と、市場に理解されないならソフトバンクが良き理解者となれば よい、やるなら今だと判断しアームの会長スチュアート・チェンバースと会うこととした。

アームの会長との交渉では上場を続けて短期的な収益しか関心のない市場を相手 にするよりソフトバンクの参加で長期的なビジョンのもと戦うべきであり、世界中のほとん どの半導体大手メーカーを顧客として抱えるアームにとって中立性は避けて通れない、 ソフトバンクはアームと取引がないから中立性は保てる、更にアームはエンジニア集団 であり拠点で働くエンジニアを 5 年以内に 2 倍にすると約束、最終的にアームの株価に 43%上乗せで決着、日本企業による買収としては過去最大となった。

「50 年先の布石」 3 兆3千億円もの巨費を投じておきながら既存企業とは何の関係も ないと云いきる、ではなぜ 「IOTにアーム」 なのか、スマホだけでなく自動車・家電・ 住宅・工場・トラックで運ばれる膨大な数の荷物、それだけでなくありとあらゆる身の回り のものにセンサーが取り付けられるだろう 「今後20年でアームの半導体は地球上に1 兆個ばらまかれることに・・・」 と孫は予言する。

{ 第二章300年王国 } 理解されない「異次元経営」300年成長し続ける企業に

~松下幸之助を超える~幸之助が1932年に開いた第一回創業記念式で有名な 「水 道哲学」 を披露、豊かな社会を作る使命達成の時期を 1建設時代10年 2活動時 代10年 3社会への貢献時代5年~併せて25年を一節としてこれを10節繰り返す250 年計画を集まった社員の前で語った、その時の様子は 「会場はいつか興奮のるつぼと 化し社員全員の所信発表が始まり思わず壇上に駆け上がる者が続出した」 と

300年計画は工業化より情報化の方が人類にとって大きな変革の波と云うことになり 幸之助より自分の方が与えられたチャンスが大きいから越えなければならないとの決意 がにじんでいるようだ。

2000年2月に20万円に迫ったソフトバンクの株価は米国発ITバブル崩壊で2002年1 0月株式分割の影響もあるが千円を切るまで急降下したがNTTに挑戦状をたたきつ けたブロードバンド参入、日本史上最大の M&A で果たした携帯電話への挑戦へと走 り始めた。ソフトバンクの2009年6月の第29回株主総会で孫は 「次の30年間のビジョ ンを発表」 この当時も株価は暴落したままだった、1年後のお披露目の場では300年 先の世界まで語り始めた。

「 短文披露サイトのツイッター 」 2009年12月24日アカウント名 「masason」 はすぐ に名物となった、30年ビジョンへの意見募集フォロアーの中で 「人生の中で最も悲し い事は21%のフォロアーが死であると」 ならば300年先には人の寿命を200歳にしたい と孫は真顔でそう語った、丁度300年前には産業革命が起こり P 2

機械により人間の生き方が変わった、パラダイムシフトが起こった、機械によるビッグバ ンがあった、これから300年間で本当の意味での情報ビッグバンが起こるのではないか と、何が生まれるかと云うと学習コンピューターが生まれ人口知能を持った脳型コンピュ ーターを掲載したロボットが一般化しているだろう、優しさ・愛情の部分を持った脳型コ ンピューターを広めて行きたいと。

「 300王国に欠かせない群戦略 」 出資先グループは既に800社、ゆくゆくは5千社に ~俺の夢に乗れ~2009年6月当時の社員数は1700人のソフトバンクが3000人を採用 軌道に乗り始めたヤフーBB 事業を広げる為、リクルートのコンサルをしていた青野(この 時点で子会社の社長内定)に孫社長が会いたいと~青野は話の中でしっかりとした教 育体制を取ればリスクではなく次世代のリーダーを育てるチャンスになると伝えたところ それだけやりたいならソフトバンクに移ってこい! すっぱり断ったが後日秘書から何度 も電話があり、しぶしぶ会ったところ300年後の世界はどうなると思っているか?と、今の 世の中はおかしいと思わないか?と、それを変えることが出来るのは官僚?政治 家?・・ビジネスでは! それができる経営者は?~孫さんかもしれません~そうだ俺が 変える~お前をやっと見つけた! うちのグループ800社をお前に預ける、俺は世界を 変える、お前が俺の夢に乗れ!! この言葉が青野の心をわしずかみにした!~即答 でハイ乗ります! と

「 サウジの若き実力者 」 2013年に父サルマンが国王に即位、30歳で国防相と

王宮府長官・国王特別顧問となったムハンマド・ビン・サルマン副皇太子・経済開発 評議会議長の顔も持ち 「サウジ・ビジョン2030年」 が世界のエコノミストの間で話題と なった、石油依存からの脱却を宣言した。

この若き改革者と孫が2016年9月に会談、意気投合、孫はいきなり 「1兆ドルプレゼ ントします」 をかました~総額10兆円のファンド創設に乗らないかと、ソフトバンクは199 9年持ち株会社に移行、その後の17年間の内部収益率は44%を記録し圧倒的な投資 実績がある、アーム買収は今後20年間で1兆個もの半導体を世界中にばらまき、これ から得られる膨大なデータを分析していけば何が映るか・・・神はあたかも最高の贈り物 を与える事になるかも・・・と、 2016年10月サウジにて今後5年間でソフトバンクが250 億ドル・サウジが450億ドル残りは他から出資を募ることで合意。

{ 第三章~旗揚げ~創業・目指すはロックフェラー }

1981年資本金の8割も投入して勝負をかけた大阪エレクトロニクスショーでの出展は ブースこそに賑ったが成約なしで追い詰められていた孫の会社に大阪の上新電機・藤 原から電話が入った、大阪に来て欲しいとの要請にも旅費がなく多忙との理由で断った、 藤原の報告でただ者ではないとの話に興味を持った社長の浄弘は東京で日本ソフトバ ンクの孫と会う手筈となった。 P 4

面談で孫は案内された巨大なコンピューター店をソフトで一杯にするから独占でやらし てくださいと~大よそ1万本、命懸けで受注を決めた、1982年初めころに第一勧業銀行 御器谷支店長に面会し1億円の融資を申し込み無担保しかも金利は最も条件の良いプ ライムレートという無茶な要求だった、支店長は話を聞く内に何とかまとめたいと思い得 意先の上新電機に日本ソフトバンクのウラを取り、更にシャープの佐々木専務と付き合 いがあると聞かされてウラ取りにシャープの経理部長に連絡、それを知った佐々木専務 は自分が保証するから融資してやってくださいと、このことを銀行の頭取に報告したとこ ろ、無担保等申し出条件通りで直ぐに融資を決めなさいと、101歳になった佐々木氏は この電話の事を今も覚えていた。

佐々木氏は来るものを拒まず、彼に教えを乞うた若手企業者は数知れない、あのステーブ・ジョブスもその一人だ、そんな佐々木が孫に対して 「この若者の踏み 台になってもいいと思った」 とまで言う~それはね...可愛いからだよと

{ 第四章 危機~余命5年 }

日本ソフトバンクは急速な成長曲線で創業の1981年9月から実質1年で売上高20億円 翌年も45億円、1982年春の健康診断で慢性肝炎・酷い数値ですぐに入院してください、 そうでなければ命の保てる保証は出来ないほど悪化していた、当時慢性肝炎は不治の 病で実質的な余命宣言だった 「物欲なんて全くなくなった家も車も洋服もいらない、た だただ命だけが欲しい生まれたばかりの娘の笑顔をもう少し見ていたい」 と
孫の病状を気にかけていたのが恩人の佐々木で以前から 「誰か金融に強い人を紹 介してください」 と依頼していた、丁度佐々木は日本警備保障(現セコム)大森副社長 (元野村証券のエリートとして知れた人物)と食事する機会があり孫を誘った、年齢は孫 より27歳も上 「日本ソフトバンクをお願いします」 と孫は大森に会うたびに言い続けた。 1983年4月大森は日本ソフトバンクの社長に就任、孫は25歳の若さで会長になった。 ~大森さんが社長になってから何かにつけて規則・規則の一点張りで何も進みません、 何とかしてくださいと社員たちの直訴、過剰としか思えない交際費を使って銀座で豪遊、 運転手付きの高級車は大森にとっては当たり前の感覚でも零細企業からたたき上げの 社員たちは納得しない、一方の大森も社員達を任用せず幹部級を次々とスカウトして、 創業期からの仲間が一人又一人と会社を去っていった。

~再び手に取った 「竜馬が行く」 は病室で無為の時を過ごす孫に心境の変化、多読 の孫にとって人生に於いて決定的な影響を与えられた 「竜馬は31歳の若さで兇刃に 倒れる、最後の5年位で本当の大仕事をしている、5年あれば世の中を変える位の大仕 事ができる、竜馬のように燃え尽きてやる」 と病室に大量の本を持ち込み、おおよそ3 千冊も読破、2年近くの歳月の後、父 光義からの電話 「これでお前の病気が治るかも しれんぞ!」 と~効果は激甚で3月17日に治療を始め5月連休明けには正常な数値と なり退院。 P 5

~みやうっちゃん~退院早々の7月宮内謙が孫のもとを訪れてきた、日本能率協会で 働いていて当時34歳、大森の誘いで転職してくると、宮内はあっという瞬間に孫に惚れ 込んだ、二人の役割は絶妙となった。

孫が現場復帰して1年半後の1986年初めの臨時総会で(佐々木とも事前に相談の上) 大森を解任した。 ~ソフトウイング事件~孫が名実ともにトップに返り咲いた1986年商品部が独立を画策 日経新聞によるとパソコンソフト市場規模500億円、内直販を除いた5割のシエアを日 本ソフトバンクが握っていた、商品仕入れ部門の社員がごっそりやめて新会社を設立、 裏で手を引く人物がアスキーの西和彦、過去二度全面対決してきた因縁の人物で 日本ソフトバンクから引き抜いた幹部を中心にソフトウイングという競合会社 を設立ソフトウエアの作り手コナミとシステムソフト三井物産の強大な五社連 合、日本ソフトバンクの粗利益は一気に半減の窮地に、スッポリ抜けた商品部の 調達部門には宮内を起用、孫と宮内が選んだのは「先ず基本に忠実にコスト管理 を徹底」と云う正攻法だった、思考錯誤の上「日次管理」を取り入れた。 経営の基本に立ち返り足腰をもう一度鍛え直した、奇策なしの成功法で根気よ く戦った結果1993年ソフトウイングは経営が悪化して他社に買収された。 ~同志的結合は金銭的結合より強いと孫は良く語る、この言葉を授けた人物こ そ孫の大恩人の佐々木だ、志を共有すると共に十分な見返りの提供との反省か ら宮内の発案で1980年代後半にいち早くストックオプションを導入した。 ~1990年にソフトバンクと社名を変え世界に通用する企業への脱皮を目指 し、1994年株式を店頭公開、この際の主幹事である野村證券の担当者だった 北尾吉孝を孫は財務担当として迎え入れた、北尾は銀行に頼らず社債・増資など 含め東証一部上場までに5千億円近い資金を資本市場から調達~怒涛の M&A 攻 勢が始まった、1994年11月米フジ・デービスから展示会部門を200万ド ルで買収、1995年4月世界最大のコンピューター展示会 「コムデックス」 を8億ドルで買収、同年1月米ヤフーに出資、後に追加も合わせて1億ドル強 1996年2月米ジフ・デービスから出版部門を18億ドルで買収、同年9月メ モリーボンドの米キングストン・テクノロジーを15億8百万ドルで買収、同年 12月豪の会社と共同で全国朝日放送の株式21、4% 417、5億円で取得 2008年9月日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)をオリックスと共同で買収 (ソフトバンクは48、87%約490億円) ~結論から先に言うと米ヤフー以外はほぼ全部が失敗、損切で売却、ブロードバ ンド事業を起こして NTT にケンカを売り、その資金を捻出して全てを投げうっ て新しい波に向かった、後にアームを3、3兆円かけて買収した際はアリババの 一部とゲーム会社への投資金を売る事となった。 ~トランプ会談の真実(いきなり後日談)~ P 6

2016年12月6日トランプタワーで次期大統領に決まっていたトランプと 電撃会談「マサは素晴らしい男だ」と一時間ほどの会談後に居並ぶ報道陣に語っ た、孫はトランプの懐に飛び込む細かい気配り、そして500億ドルの投資と5 万人の雇用創出だった。 ~ビルゲイツの助言~1987年7月孫は初めてシアトルに飛んだ、パソコン 界の巨人マイクロソフトのビルゲイツに会う為に、新しく立ち上げる雑誌 THE・ COMPUTER 創刊号の目玉記事として単独インタビューの席でビルゲイツは孫に 「君は PCWEEK を読んでいる?毎号読んだ方がいい」と、その後 PCWEEK を発行 する部門を売りに出すと聞きつけ入札に参加するも入札の前日に他社に攫われ てしまった、その翌朝出版がダメなら先ず展示部門と思い直してジフ・デービス の展示部門を買収、結果出版部門も手に入れることになった。 ~1995年買収したジフ・デービス社長から「ヤフーと云う面白い会社がある」 と、まだヤフーは5~6人の会社、に出資して日本に持ち込みソフトバンクの成 長に欠かせないエンジンを得た。

{ 第五章 集う一騎当千の「同志」たち }

~カリスマ相場師・富士銀行副頭取だった笠井、東大閥と云われた中で香川大学 出身の笠井は異色、ニューヨーク支店長を歴任、債券相場で1996年笠井は他 のディラーが売りに走るのを横目に買いまくり巨額の利益を上げた、1998 年富士銀行副頭取だった笠井が安田信託銀行の会長に送り込まれ就任初日の演 説に後藤(13年勤続)は衝撃を受けた、更に驚いたのはある日渉外から帰ると 笠井が自分の席に座っていて話しかけてきた、その後安田信託銀行を退職して いたが笠井に伴われて孫社長に会った、孫は後藤の顔を一目見るなり「なるほど 良い目をしていますね採りましょう」と、2000年6月ソフトバンクに移籍。 財務責任者にされた後藤に自信はなかったもののソフトバンクの直面している異変には 直ぐに気づいた。 ~悪魔の代弁者~2001年広島マツダからソフトバンクの門をたたいた藤原和彦(41歳) が後藤と同じ財務担当、藤原は着任早々にネットバブル崩壊にあえぐ米国現状視察に 出た、そこで投資先の現状は正にボロボロ帰国早々にソロバンをはじくとこのまま放置す ると1千億円の損失が出る、先ず銀行出身の笠井に相談すると 「大丈夫ストレートに言 いなさい」 と、米国ベンチャーの投資先には孫がかなりな思い込みを持っていると聞か されていたが意を決して孫の前に出てこのまま投資先から手を引かないと1千億円の損 失になると得意の差の分析を交えてありのまま伝えた、藤原の書いたサマリーをジーと 見ながら、ようやく一言 「よう損したな」 孫は新参者の意見をそのまま取り入れ直ぐ対策 を講じるよう命じた 「退却は攻めるより10倍難しい・退却はトップしか判断できない」 が 孫の経営哲学。 P 7

~名古屋で終わる気か~宮川潤一の携帯に2001年6月見知らぬ番号から携帯に着信 がありソフトバンクの孫です名古屋で新幹線に乗って頂けませんか?席は押さえてあり ますと、宮川が経営する 「名古屋めたりっく通信」 を買収したいというソフトバンクから の打診は二回とも断っていたが孫社長直々の電話でもあり指定された車両に乗ると孫 は一両まるごと押さえていた、孫の隣に座る男・筒井は新しく始めたブロードバンド事業 の技術を任されていると、孫が聞いてきたのは宮川の予想に反して極めて技術的なこ とだった、東京迄の一時間半余りそんな話に終始したのみで孫は 「じゃあ」 と云って去 ってしまった、その日の夜、宮川の秘書に孫の秘書から東京で夕食を共にできないかと 電話が入った、孫が指定した日時に高級旅館 「吉兆」 の個室では孫が一人でノートを 手に待っていた、話は又 ADSL の技術的な詳細から始まり孫はメモを取りながら 「そう か」 「なるほど」 といちいち相槌を打ちペンを走らせる、二人の話は自然とお互いの人 生観に 「君は何のために仕事をやっているんだ」 との問いに 「100年残せるような生き た証を残したい」 と、それから孫は300年王国建設への野望を熱く語り 「男だったらも っと大きいことをやらんか俺と一緒に~君は名古屋で終わる気か?」 と、宮川は孫に口 説き落とされて 「名古屋めたりっく通信」 はソフトバンクに売却し仏教学科出身の異色 の技術者宮川が孫の軍団に加わった。 ~マッドサイエンティスト~新幹線の中で孫と並んで待っていた、孫をして 「天才」 と 言わしめた正真正銘の技術者筒井多圭志、1960年生れ孫より3歳年下、子供の頃から コンピューター大好きで東大工学部に入り受験し直して京大医学部に移り医師免許も 取得4年生になると UNIX 専門のソフトハウスを始めた、孫の米国出張に同行して欲し いと云われカルフォルニアに同行、その後10年新人工知能研究に没頭、その後帝京 大学で教鞭を執っていたがある勉強会で孫と出会い合間に孫の仕事を手伝っていた が2000年になって 「そっちを止めてこっちに来い」 と誘われた、この筒井が考案した フル IP(インターネットによる通信手段)それこそが孫が大勝負をかけることになるブロ ードバンドの基本設計となる、果たしてこの 技術で巨艦 NTT に立ち向かえるのか社内 では完全に 「反対」 で纏まったが孫は押し切り 「もういい俺は筒井と心中する!」 ~胴元になる~盟友の名は大久保秀夫(情報通信企業フォーバル創業者)二人は若 い頃から家族ぐるみの付き合い 「大久保さん今度うちで ADSL をやるよ」 「また一緒に やろうよ」 という孫に大久保は即答した 「うん、やろう」 15年前に云った孫の言葉が 蘇る 「大久保さん見ていてくれよ、いつか必ず俺は胴元になって見せるから」 二人で 日本の通信網に革命を起こしてやろうと挑み敗れた・・・1985年大久保率いる新日本工 販(フォーバルの前身)の課長が孫さんと云う面白い社長に会ってみませんかと、この時 孫は28歳で大久保より3歳年下、孫と大久保には共通点があった、大久保は5歳の時 に交通事故に合い医師から残念ですがお子さんはもう助かりませんと、命はとりとめたも のの足の骨はぐちゃぐちゃに砕けていた、もう歩くことはあきらめるように言われたが大久 保少年はそう思わなかった、小学校高学年で松葉杖もいらなくなっていた。 P 8

深夜のファミレスでの密会は1年に及び2人は遂に 「NCC・BOX」 を発明した、これを自 宅の電話回線に取り付けると、どの会社の回線が一番安いか瞬時に選び利用者は煩 わしい4桁のダイヤルを回さなくて済む 「これで NTT の独占に風穴を開けてやる」 と 一気に百万個発注30億円以上の費用が二人の肩にズッシリ、目指したのはベンチャ ーの雄京セラ本社、稲盛和夫と共に第二電電を立ち上げた千本倖生と20人程の役員 を前にプレゼン、稲盛は開口一番 「それナンボや?50万個うちで買う、但しウチだけ に売れ」 と 「売れません、第二電電の回線が消費者に選ばれた分だけロイヤリティを 払ってほしい」 と 話は平行線のまま延々と続き多勢に無勢、二人はついに折れてしま った。みじめだね大久保さん、やっぱりおかしいよ、そうだね明日契約書を返して貰おう ~稲盛和夫の怒り~翌朝早々二人は京セラ本社を訪れ契約の破棄を申し出、稲盛は 激怒・・・一時間近くにも及んだが今度は稲盛が折れた、二人はこの後他の第二電電に も売り込み無料で配る奇策も実現、初年度だけで十分な利益を得た、しかし NTT の巨 大独占を崩したとはとても言えない、孫は大久保に 「いつか俺は必ず胴元になる」 と

上の投稿抜粋元
https://hed-health.net/wp/wp-content/uploads/2018/01/143.pdf

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