4/16(月)福岡「アジア就職・転職・起業体験談」座談会
講師は成長発展のアジア+タイ・バンコクで大活躍の日本人起業家
◆急ですが、2012年4/16(月)朝9?12時・福岡天神舞鶴の栢野オフィスで、タイ現地で圧倒的NO1企業となった人材紹介会社「パーソナル・コンサルタント」小田原社長を迎えて座談会★海外・アジアで働く★アジア・タイで起業する★アジアとつき合うには★成功する経営戦略★営業方法★マーケティング★言葉の習得方法★ゼロからの海外生活・・など、現地経験19年+経営の成功体験を少人数でじっくり学びます。
◆対象は◎アジアで起業したい◎タイで働きたい◎アジアで生産・販売したい◎タイへ輸出したい◎アジアを輸入販売したい◎海外体験聞きたい◎成功する起業・経営方法を知りたい◎海外系人脈を創りたい◎なんかわからんが、発展アジアの生体験談を聞いておきたい◎他
◆私(栢野)もタイは4回視察。タイ・アジアは最高に面白い。小田原さんや他のアジア諸国の日本人と雑談すると「アジアは燃えている」「タイも絶好調」「我が社も絶好調!」「アジアから観た日本」など、普通、日本では聞けない話ばかり=今後の日本・日本企業・日本人が学ぶべき元気話のオンパレード。いち早くアジアに出た大企業メーカーは今も過去最高決算を更新中。ユニクロのように現地で安く生産+日本へ輸出、優秀な日本製を現地の市場に販売。トヨタやヤマハは現地生産+現地販売など。その進出した日系企業・日本人向けの飲食店・サービス業・日本語新聞タウン誌など数知れず。アジアを知ると日本と自分が見える(栢野体験談)
◆【事業概要】パーソナルコンサルタント(株)/1994年に共同パートナーと創業/人材紹介業では圧倒的NO1/取引先約6000社(日系企業中心)/登録者数万人(タイ人・日本人)/従業員30名(日本人8・タイ人20)/年商?億円/経常利益2ケタ/個人年収?000万円
◆以下は2009/03/11 タイ現地のメディア取材記事
「微笑みの国タイ。笑顔あふれる職場作りのお手伝い」
「より多くの人の役に立つために…タイでの人材紹介業を立ち上げる」
1993年、小田原氏がタイを訪れた時、日本人求人状況は現在と大きく異なっていた。日系企業において、現地採用求人などは、ほとんどない状況であった。そのため、日本人がタイで生活の糧を得るためには、起業するしかない状況だったという。ニーズとして考えられたのは、日本食レストラン、または日本から来る駐在員を現地でサポートする仕事が主であった。そこで、小田原氏は駐在員の住居斡旋と社員を紹介する会社を設立した。2つの柱の仕事を半年から一年進めていくうちに、人材紹介業の方が、より多くの人たちの役に立てるということに気付いたという。
結局、その一年後には人材紹介専門の会社に事業内容をシフトしていたという。
設立当初は、日本から進出してきた大手人材会社の壁が厚く、なかなか顧客獲得につながらなかった。そこで、新しい求人依頼が入ると、それがどれだけ遠く離れた場所であってもお客様に直接会うために、必ずその会社を訪ね、さらに一緒に食事をするなどしてヒアリングを行った。そのようにして、会社の社風、お客様の性格を見極め、求められる人物像を確認することにより、最適な人材を紹介するように心がけたと小田原氏は語る。
設立時から今まで、紙面の広告を一切打たずに営業を続けている同社。それは、一元のお客様よりも、口コミで紹介されてきたお客様を大事にし、「一件ずつ」確実に求人募集を決めていくためだという。
また、お客様が大手人材紹介会社で適任者を見つけることができず、困ったあげく依頼してくるケースもあるそうだ。このように適当な人材を見つけることが難しい求人に対しても、誠意を尽くして対応し、結果につなげることで、信用を積み重ねてきたのだ。
タイの人材不足は、当時も今も変わらないが、最初の数年は今よりもはるかに少人数でのスタッフで運営を行っていたという。バンコクから車で一時間ほど離れた町にも2店舗の支店を置き、平日はバンコク、土日はそちらに出向き、登録に来る求職者と面接を行った。
今振り返ると、年始とタイ正月以外は休み無しで働き通しの日々であったという。24時間寝ても覚めても、ずっと会社の事を考える生活が続いた。仕事のために費やした時間量では絶対に他に負けないという自負があると語ってくれた。
そんな小田原氏を始めとするスタッフ達の努力が実り、現在では、業界最大手の会社になり、昨年、一昨年にはタイ国労働省から135社業務登録している人材紹介会社の中で、最優秀の表彰を受けている。
ほとんどの大学に就職課がある日本とは異なり、タイの大学には就職課と言うものが現在でも無い。また、小田原氏が会社を設立した15年前には、新卒者の定期採用もない状態であった。その頃、小田原氏は、ある大手企業の人事部長からの依頼で、新卒者の定期採用を始める手伝いをし、成功を収めた。それ以来、お客様が採用計画を立てる際には、中途半端な経験者の中途採用よりも、聡明でポテンシャルの高い新卒者を定期採用することを勧めるようになったという。
会社のカラーに順応しやすく、吸収が早い、優秀な新卒者の紹介に特に力を入れている同社。現在、タイにある主要な大学との太いパイプは業界一だという。
「私達がタイでの大卒新卒者の定期採用の先鞭をつけた」と自負していると小田原氏。
「15年前、紹介した会社で今も働く人からは、今でも感謝の声が」
創業より15年、最大手となった現在でも、当事と変わらず、一人一人に対し、日本人スタッフが登録時に面接を行い、細かなチェックを行っている。中でも多いのが、面接で受かるための取り繕った答えを準備する求職者だという。そのような求職者に対しても細やかなアドバイスを行い、企業のニーズとマッチングさせた紹介を行っている。
紹介した人材が、入社後、いかに会社で力を発揮できるかという点を考慮し、紹介することを心がけている。その、「15年間の努力の積み重ね」が何よりの強みになっているとのことだ。
今まで紹介した人材で10年、15年間、同じ会社で働いている人も多いが、再会すると、いまだに「良い仕事を紹介してくれた」とお礼を言われることも多いという。
彼らのような存在が私達の励みであり、同時に強みでもあると小田原氏は話してくれた。
「職を得る事は、人生の大きな分岐点です。私達に関わる全ての人に適所を紹介し、採用された人はもちろん、採用した会社も幸せになれる、それを実現できる人材紹介会社にしたいと思います」と理想とする形を語ってくれた。
「微笑みの国」のキャッチフレーズで紹介される国、タイ。女性100%の職場だという小田原氏の会社にも、女性スタッフの笑顔があふれているという。
「タイ人は基本的に素直な性格のため、指示の仕方を間違わない限り、とてもよく仕事をしてくれます。問題に直面した時も、決して暗くなることがない彼女たちの笑顔に救われています」と小田原氏も微笑む。
「人々が懸命に働くことで会社に貢献し、そして社内がいつも笑顔で満ちているような環境を作るお手伝いをこれからもしていきたいと思います」と、最後に今後の抱負を熱く語ってくれた。
■プロフィール■
小田原 靖/パーソネルコンサルタント・マンパワータイランド株式会社/代表取締役社長/1969年3月生まれ。福岡県福岡市出身/19歳で渡米、オレゴン州の大学を卒業後渡タイ、1994年パーソネルコンサルタント社を設立。
◆ホスト◆栢野克己/カヤノカツミ◆アジア一?日本一?過激な小企業コンサル・講演家。全部で18万部→「やずやの秘密」「弱者の戦略」「小さな会社★儲けのルール」「逆転バカ社長:天職発見の人生マニュアル」はアマゾン<中小企業経営>ジャンルで7年300週?現在までベストセラー第1位?5位。台湾(中国語)・韓国・タイ・インドネシアでも出版。零細企業☆人生逆転の事例講演・執筆・勉強会主催の(株)インタークロス代表取締役。主催のセミナー交流会「九州ベンチャー大学」や「経営人生計画セミナー」「早朝マーケ会」「個別相談会」は17年1000回を越え、累計で約1万人参加。全国+アジアで年間講演約100回+勉強会100回が自主ノルマ。2006年?2007年に家族で1年間の世界一周を実現!夢は全世界で1000万部の著書+世界200ヶ国渡航■福岡県立小倉西高校は裏口入学・立命館大学卒。新卒入社のヤマハ発動機を9ヶ月でノイローゼ退社、バイトのリクルートは3年弱で正社員試験落第。失意と復讐を誓い、大阪のIBMリースへ転職するが、またも仕事失敗+ウツ+婚約破棄+自殺未遂で退社。東京へ逃げ、半年失業後チラシ宅配ベンチャーへ転職。しかし、そこも詐欺的FC会社でまたも転職に失敗。もはや「同級生に勝つには独立しかない」と決意し、様々なセミナーや交流会に参加後に「無料職業相談業」で起業。しかし、半年で金がなくなり、出版社:ビジネス社でテープ起こしのバイトをするも先の人生が見えない。そんな92年実家が他人の連帯保証1億円かぶり博多へUターン。6度目の転職で広告代理店へ。同時にビジネス交流会「九州ベンチャー大学」立ち上げ。 95年、借金返済のため2度目の起業。97年完済するも実家失い親は自殺。2002年?今までの人生への復讐スタート。お楽しみはコレからだ。
◆日時:4/16(月)9?12時 ※出入り自由(2012年)
◆参加費2000円 ※会場で 【残3】
◆会場(株)インタークロス・栢野オフィス(天神駅5分)
◇福岡市中央区舞鶴1-2-33ライオンズマンション天神304
◇地下鉄「天神」徒歩5分・昭和通り・スマイルぷらざ横◇会場への地図
◆主催・九州ベンチャー大学 ◆マスコミ記事はコチラ
◆相談・質疑の時間も!