😹 3日前、東京食肉市場の牛と目が合ったので
■坂本さんは、食肉センターで牛を“とく”仕事をしています。息子のしのぶくんは、小学校の授業参観で、お父さんの仕事について、うつむきながら「普通の肉屋です」と答えます。担任の先生に、「お父さんが仕事ばせんと、肉ば食べれんとぞ」と言われ、しのぶくんは考えを変えます。「お父さんの仕事はすごかとやね」と言うしのぶくんを見て、坂本さんはもう少しこの仕事を続けようと決心します。そんなある日、坂本さんが勤める食肉センターに、女の子と一頭の牛がやってきて――。by Amazon
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坂本さんは、食肉加工センターに勤めています。
牛を殺して、お肉にする仕事です。
坂本さんはこの仕事がずっといやでした。
牛を殺す人がいなければ、牛の肉はだれも食べられません。
だから、大切な仕事だということは分かっています。
でも、殺される牛と目が合うたびに、仕事がいやになるのです。
「いつかやめよう、いつかやめよう」と思いながら仕事をしていました。
坂本さんの子どもは、小学3年生です。
しのぶ君という男の子です。
ある日、小学校から授業参観のお知らせがありました。 これまでは、しのぶ君のお母さんが行っていたのですが、その日は用事があってどうしても行けませんでした。
そこで、坂本さんが授業参観に行くことになりました。いよいよ、参観日がやってきました。
「しのぶは、ちゃんと手を挙げて発表できるやろうか?」
坂本さんは、期待と少しの心配を抱きながら、小学校の門をくぐりました。
授業参観は、社会科の「いろんな仕事」という授業でした。
先生が子どもたち一人一人に 「お父さん、お母さんの仕事を知っていますか?」「どんな仕事ですか?」 と尋ねていました。
しのぶ君の番になりました。
坂本さんはしのぶ君に、自分の仕事についてあまり話したことがありませんでした。
何と答えるのだろうと不安に思っていると、しのぶ君は、小さい声で言いました。
「肉屋です。普通の肉屋です」
坂本さんは「そうかぁ」とつぶやきました。
坂本さんが家で新聞を読んでいると、しのぶ君が帰ってきました。
「お父さんが仕事ばせんと、みんなが肉ば食べれんとやね」
何で急にそんなことを言い出すのだろうと坂本さんが不思議に思って聞き 返すと、しのぶ君は学校の帰り際に、担任の先生に呼び止められてこう言わ れたというのです。
「坂本、何でお父さんの仕事ば普通の肉屋て言うたとや?」
「ばってん、カッコわるかもん。一回、見たことがあるばってん、血のいっぱいついてからカッコわるかもん...」
「坂本、おまえのお父さんが仕事ばせんと、先生も、坂本も、校長先生も、会社の社長さんも肉ば食べれんとぞ。すごか仕事ぞ」
しのぶ君はそこまで一気にしゃべり、最後に、
「お父さんの仕事はすごかとやね!」
と言いました。
その言葉を聞いて、坂本さんはもう少し仕事を続けようかなと思いました。
ある日、一日の仕事を終えた坂本さんが事務所で休んでいると、一台のト ラックが食肉加工センターの門をくぐってきました。
荷台には、明日、殺される予定の牛が積まれていました。
坂本さんが「明日の牛ばいねぇ...」と思って見ていると、助手席から十歳 くらいの女の子が飛び降りてきました。
そして、そのままトラックの荷台に上がっていきました。
坂本さんは「危なかねぇ...」と思って見ていましたが、しばらくたっても 降りてこないので、心配になってトラックに近づいてみました。
すると、女の子が牛に話しかけている声が聞こえてきました。
「みいちゃん、ごめんねぇ。みいちゃん、ごめんねぇ...」 「みいちゃんが肉にならんとお正月が来んて、じいちゃんの言わすけん、みいちゃんば売らんとみんなが暮らせんけん。ごめんねぇ。みいちゃん、ごめんねぇ...」
そう言いながら、一生懸命に牛のお腹をさすっていました。
坂本さんは「見なきゃよかった」と思いました。
トラックの運転席から女の子のおじいちゃんが降りてきて、 坂本さんに頭を下げました。
「坂本さん、みいちゃんは、この子と一緒に育ちました。だけん、ずっとうちに置いとくつもりでした。ばってん、みいちゃんば売らんと、この子にお年玉も、クリスマスプレゼントも買ってやれんとです。明日は、どうぞ、 よろしくお願いします」
坂本さんは、「この仕事はやめよう。もうできん」と思いました。そして思いついたのが、明日の仕事を休むことでした。
坂本さんは、家に帰り、みいちゃんと女の子のことをしのぶ君に話しまし た。
「お父さんは、みいちゃんを殺すことはできんけん、明日は仕事を休もうと 思っとる...」 そう言うと、しのぶ君は「ふ~ん...」と言ってしばらく黙った後、テレビに目を移しました。
その夜、いつものように坂本さんは、しのぶ君と一緒にお風呂に入りまし た。しのぶ君は坂本さんの背中を流しながら言いました。
「お父さん、やっぱりお父さんがしてやった方がよかよ。心の無か人がしたら、牛が苦しむけん。お父さんがしてやんなっせ」
坂本さんは黙って聞いていましたが、それでも決心は変わりませんでした。
朝、坂本さんは、しのぶ君が小学校に出かけるのを待っていました。
「行ってくるけん!」
元気な声と扉を開ける音がしました。その直後、玄関がまた開いて
「お父さん、今日は行かなんよ!わかった?」
としのぶ君が叫んでいます。
坂本さんは思わず、「おう、わかった」と答えてしまいました。
その声を聞くとしのぶ君は「行ってきまーす!」と走って学校に向かいました。
「あ~あ、子どもと約束したけん、行かなねぇ」
とお母さん。坂本さんは、渋い顔をしながら、仕事へと出かけました。
会社に着いても気が重くてしかたがありませんでした。 少し早く着いたのでみいちゃんをそっと見に行きました。 牛舎に入ると、みいちゃんは、他の牛がするように角を下げて、坂本さん
を威嚇するようなポーズをとりました。
坂本さんは迷いましたが、そっと手を出すと、最初は威嚇していたみいち ゃんも、しだいに坂本さんの手をくんくんと嗅ぐようになりました。
坂本さんが、
「みいちゃん、ごめんよう。みいちゃんが肉にならんと、み んなが困るけん。ごめんよう...」
と言うと、みいちゃんは、坂本さんに首をこすり付けてきました。
それから、坂本さんは、女の子がしていたようにお腹をさすりながら、
「みいちゃん、じっとしとけよ。動いたら急所をはずすけん、そしたら余計苦しかけん、じっとしとけよ。じっとしとけよ」
と言い聞かせました。
牛を殺し解体する、その時が来ました。坂本さんが、
「じっとしとけよ、みいちゃん
じっとしとけよ」
と言うと、みいちゃんは、ちょっとも動きませんでした。
その時、みいちゃんの大きな目から涙がこぼれ落ちてきました。
坂本さんは、牛が泣くのを初めて見ました。 そして、坂本さんが、ピストルのような道具を頭に当てると、みいちゃんは崩れるように倒れ、少しも動くことはありませんでした。
普通は、牛が何かを察して頭を振るので、急所から少しずれることがよくあり、倒れた後に大暴れするそうです。
次の日、おじいちゃんが食肉加工センターにやって来て、坂本さんにしみ じみとこう言いました。
「坂本さんありがとうございました。昨日、あの肉は少しもらって帰って、みんなで食べました。
孫は泣いて食べませんでしたが、
『みいちゃんのおかげでみんなが暮らせるとぞ。食べてやれ。みいちゃんにありがとうと言うて食べてやらな、みいちゃんがかわいそうかろ?食べてやんなっせ。』
って言うたら、孫は泣きながら、
『みいちゃんいただきます。おいしかぁ、 おいしかぁ。』
て言うて食べました。ありがとうございました」
坂本さんは、もう少しこの仕事を続けようと思いました。
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10万部突破! 『JIN―仁―』で人気の漫画家・村上もとかさんも絶賛! 朝日新聞「天声人語」欄でも取り上げられ、学校での読み聞かせでも愛読されています。
西日本新聞社から刊行されている単行本『いのちをいただく』は、全国で感動を呼び、10万部を突破したロングセラー。『紙しばい いのちをいただく』も、紙しばいとしては異例の売れゆきを続けています。この名作が、新版として、手に取りやすい絵本になりました。
著者紹介
■原案:坂本 義喜(サカモト ヨシキ)
食肉解体作業員。
1957年、熊本県生まれ。15歳で親の仕事だった食肉解体業を手伝いはじめたが、1週間で辞めてしまい、大阪の食肉小売店で板前の修業を3年半行う。その後、熊本に戻り就職。現在の妻と出会い結婚。子どもが小学校に入学するときに、今の食肉解体業につく。この作品に出てくる一頭の牛との出会いで、自身の職業観や生命観が大きく変わる。子どもの小学校の先生からの依頼で、屠畜の仕事について、そしていのちをいただくことについて話したのがきっかけで、九州を中心に、学校や屠畜関係者などに向けて講演活動を続ける。
■作:内田 美智子(ウチダ ミチコ)
助産師。
1957年、大分県竹田市生まれ。国立熊本病院付属看護学校、国立小倉病院付属看護助産学校助産師科卒業。福岡赤十字病院参加勤務を経て、1988年、福岡県行橋市にて、産婦人科医の夫とともに、内田産婦人科を開業した。2004年、九州思春期研究会設立。事務局長をつとめる。また、文部科学省嘱託、性教育実践調査研究事業員をつとめ、現在にいたる。九州の学校を中心に、講演活動も続ける。著書に『ここ―食卓から始まる生教育』『いのちをいただく』『紙しばい いのちをいただく』(すべて共著/西日本新聞社)がある。
■講演で坂本さんが語るエピソードに感銘を受けた助産師・内田美智子さんが、本として綴った「いのちをいただく」。
10万部を超えるヒット作となった単行本は、その後漫画家の魚戸おさむさんがイラストを担当されて紙芝居に、そして今回絵本となって私たちのもとに届きました。
語る人、綴る人、描く人、作品として世に送り出す人。それを子どもたちに読み継いでいく人。様々な立場の人たちの想いがつながり絵本となった作品、こうして紹介する文章を打つ指も、自然に重たくなっていきます。
それほどに「命の重み」を強く問いかけられるのは、命を解かれている坂本さんご本人の声に基づいたおはなしだからでしょう。
生きるために食べること、食べるために働くこと、そして命を解くこと。全てはこのサイクルの上に成り立っている。
多くの生き物たちの命と人々の葛藤に支えられながら、私たちは今日も「いただく」ことができるのですね。by絵本ナビ竹原雅子
■絵本や紙芝居や反響は以下
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