自伝ルサンチマン
を書いたのは絶好調だった2008年ごろ。2011年まで好調維持してたが、次の執筆に行き詰まった2012年から落ち込んで行き、2014年に公私ともドン底へ。本と講演が当たったのが2003年でしたが、こんな夢のようなことが果たしていつまで続くのか?それまでの人生では約3年ごとにソウウツを繰り返していて心配でしたが、2006-2007年に1年間休業して家族4人で世界一周という無謀なことやっても、帰国後すぐに以前以上に好調に。年商は1500-2000万円程度で私と妻だけの弱小自営業でしたが、我が世の春を10年ほどまさに謳歌してました。が、2013年から危機を意識し、税理士からも非常事態宣言されました。貯金が激減してヤバイと。それまで私は起業以来、公私ともお金や通帳や経理は全て妻に任せて見たことも無かった。そして2014年末に「もうお金はない。長男の大学授業料など払うので、JR東海の株を売って欲しい」と言われて我が家と会社の苦境を認識。充分気づいてましたが、妻がそこまで言うのは初めて。その直前、妻が自宅で「なんでうちはお金がないの?!」と私に直接ではないですが、独り言のように大声ではなく中ぐらいの声で叫びました。何とかしなければ。2007年に妻は腎臓ガンになって手術は成功しましたが、以来、私と一緒に仕事するとストレスでガンになると会社には出なくなりました。子供が中学以降は高校までサッカー部のマネージャーでかかりっきり。しかし、家計が厳しくなった2014年からコールセンターで働くようになり、その頃から家庭内でも子供の非行他大問題が勃発。と同時に会社もピンチの三重苦。非行が妻と子供のバイト先社長の体当たりで治った直後の2015年1月、ちょっとした夫婦喧嘩で妻が家出。過去にも数回あっていつも一週間程度で戻ってたんですが、その時は2-3週間も帰らない。ある日長いLINE文面で私に絶望して離婚したいと。慌てて「熟年離婚 原因」で検索すると山のように情報が出てきたんですが、そこにはまさに自分のやらかした失態失敗ばかり書かれていました。もう私が100%悪い。事業縮小で20年使ってた事務所を撤退。自宅事務所にして廃業も視野に入れながら、タクシードライバーなら20時間働いて翌日休みだから、今までの講演活動しながら副業でいけるのでは?と5社ほど面接へ。パンダタクシーに行った時には「あれ?栢野先生じゃないですか?今日はどうしたんですか?面接?」「はい。作家講演家として仕事激減してまして、副業バイトでできないかと」憮然とした顔で「うちは副業は受け付けていません」と10秒で追い返されました。惨めでしたね。今までの10年間が走馬灯のように蘇り、俺はこのまま落ちていくんだ。当時56歳でサラリーマンならもう定年や早期引退する歳だ。自営業に定年はないが、やっぱりオレも普通の男なのだ。思いっきり黄昏てましたね。そんな2015年の春から、頼まれるカタチで某社長の講演会主催を頼まれて開催。そんなイベントをやる気力もないと思ったんですが、思いのほか大成功。これで調子乗って毎月毎週のごとく、様々な経営者を呼んだセミナー交流会「九州ベンチャー大学」を開催。合間に行き詰まった本の原稿を手直ししながら、たまに外部からの講演依頼もいただきながら、ドン底の2014-2015年を何とか乗り切り、2016年前半にある人の助言で行動起こしたのがキッカケで青本「小さな会社☆儲けのルール」の事例を入れ替えた新版が新刊扱いで出版になることが決定。さらに2013年から行き詰まってた「小さな会社の稼ぐ技術」の原稿書き直しと事例の入れ替えと大幅加筆訂正と章立ての変更でバシッと来た。我ながら。2015年後半から2016年の春にかけて。さらに5月、人工透析の弟へ私の腎臓一個を生体間移植。これは腎臓ガンで摘出手術した妻への贖罪。結果、2016年7月に「新版 小さな会社☆儲けのルール」、2016年12月に「小さな会社の稼ぐ技術」が出て共にすぐ増刷かかってヒットの上の二塁打三塁打に。最初の青本が2002年12月に出てヒットした時と同じ感触で、私にも完全にスイッチが入りました。いや、入れましたね。意識して。このチャンスを逃すものかと。こうして完全復活した2017年を駆け巡り、1995年に起業して22年目の年末、初めて自分のミッション、ビジョン、バリューを文章化。思えば本が売れて10年後の2012年頃から中小企業のランチェスター経営戦略に飽き、ビジネス系コンサル系の横にあったコーチングや心理学やカウンセリングへブレていってました。女性が多い業界です。著者も講師も読者も。が全くダメでしたね。女性相手の分野は。やっぱりオレは男の中小零細自営業が合う。女でも中身は男の自営業。普通のサラリーマンやOLが客層で多いコーチングや心理カウンセラーはわたしには無理。合わない。昔取った杵柄の、小さな会社お店の社長自営業、それまでのダメ人生を独立起業で逆転したい起業志向者。向けのわかりやすいランチェスター経営戦略と豊富な事例の本と講演とセミナー交流会勉強会の主催、ブログやFacebookやYouTube投稿や、有料のDVD CD動画音声ファイルでお役に立つ。小さな会社のドラッカー、日経新聞記者、田原総一朗、徹子の部屋、池上彰、沢木耕太郎、矢沢永吉、桑田佳祐、李小龍なのだ。妻とは別居1年半後の2016年秋に正式離婚。それは2016年春から付き合ってた彼女から、真剣な付き合いしたいから離婚して欲しいと言われたのがキッカケだったが、交際から1年後の2017年春に「あなたは本と講演以外はツマラナイ男」とフラれましたw
■最近のカミングアウトバージョン自己紹介
「ビジネス書の作家と講師をやってます。8冊で22万部と夢のボンビー印税生活!小さな会社☆儲けのルールは15年で14万部のロングセラーに。福岡市出身小倉西高立命館大卒。ヤマハ発動機リクルートIBMリース経て中小ベンチャー破産で起業も半年で失敗廃業。親が他人の連帯保証1億円被って福岡へ帰郷。親は自殺。私が借金引き継ぐも先祖代々の資産処分追いつかないので、7社目の広告代理店を脱サラ起業。借金完済して師匠のランチェスター経営竹田陽一のゴーストライター本が共著になってベストセラーに。広告屋から作家講師に転身して47都道府県にアジアでも講演。夢のような10年間に家族で一年間の世界一周も経験。が、2016年まで4年間は執筆ノイローゼで公私ともドン底。貯金激減に子供の非行危険ドラッグ他で家庭崩壊。妻は家出別居経て離婚。私が100%悪い。ヤケクソで昨年、人工透析の弟へ自分の腎臓一個を摘出移植手術!それは私が原因のストレスで腎臓ガンになって一個摘出手術した妻への贖罪。直後から運が良くなりカノジョも出来た!2017年は新刊もベストセラーで公私とも絶好調!直後に「調子に乗ったあなたは本と講演以外はツマラナイ男」とカノジョから捨てられるw 趣味は世界一周で現在69ヶ国。2017年もベトナムベネズエライランウラジオストクへ。たまの外食も牛丼トッピング無し並290円で家飲みも発泡酒でなく第三種。宿泊ホテルは出稼ぎボンビーアジア人ほぼ100%の西成1000円1畳半クラス。地元で移動は自転車など、衣食住超ボンビー節約で海外渡航費捻出。将来の夢はベストセラー1億冊かつ世界200ヶ国渡航!ボンビー新興国のスラム街散策も平気なカノジョ募集中!3人ぐらいw」