「ふくおか人物図鑑」by 近藤益弘さん主宰・記事より
■栢野代表が歩んできた人生は、波瀾万丈そのものだ。新卒で入ったヤマハ発動機は入社9カ月でノイローゼのために退職した。
アルバイト職として潜り込んだリクルートの人材紹介会社では正社員試験に落ちて、大阪のIBMリース会社へ転職。しかし、仕事上の失敗に加えてウツや婚約破棄に自殺未遂で退職に至った。
その後、東京のチラシ宅配ベンチャー企業に転じたものの、ビジネスモデルに疑問を感じて辞めて、様々なセミナーや交流会に参加して、無料職業相談業で起業した。
しかし、半年で行き詰って、出版社でのアルバイトで胡口を拭う日々となった。
このようなタイミングで事件が起きた。「実家が他人の連帯保証で借金1億円を被る事態に直面して、嫌々ながら福岡へ帰郷する」ことになったのだ。
そして、Uターン後、広告代理店に就職して、九州ベンチャー大学の前身『不況撃破懇談会』を立ち上げると、持ち前のバイタリティーを活かして東奔西走の活躍をみせる。
1995年、借金返済のために勤務先公認で顧客を引き継いで独立を果たした。
そして、2年後に実家を失ったものの借金を完済した。仕事自体も営業基盤を引き継いでの事業だったため、順風満帆のスタートだった。
しかし、独立3年目に売上高の9割強を占める最大手の取引先を失うと一躍、危機的な状況を迎えた。
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