◆人生は10年しかない。無我夢中になれる条件
「命短し恋せよ乙女」
黒沢明監督の名作「生きる」のなかで、志村喬扮する一市役所の市民課長が、この歌を幸せそうに歌うシーンがありました。彼、渡辺勘治は30年間無欠勤という模範的な役人だったのですが、ある日、自分が胃ガンで余命幾ばくもないことを知らされます。早くに死に別れた妻との間にできた息子にも冷たくされ、絶望と孤独に陥った彼は、街へさまよい出て、飲みなれない酒を飲むのです。ああ、自分の人生はいったい何だったのか?・・・。
かれは生きることの意味を考えはじめ、人生の最後の時間に、ほんの少しでも市民の役に立つことをしようと考えはじめます。住民の要望を死にものぐるいで実現し、かれの努力により児童公園が完成します。そして小雪の舞う夜、完成したばかりの公園のブランコに揺られながら、彼はこの『ゴンドラの唄』を楽しげに歌うのです。映画サイトより抜粋
◆人生で本気になれる時期は短い。夢の実現へ向け、一心不乱で100%の一所懸命のパワーが出せる時期は。30代(人によっては40代)までは戦術と体力と明るさ元気だけ。ある意味で人間ではない。知識や経験も積み重ね、戦略知識も付き、自分の強みや弱みもわかり、己を知り、敵を知り、貢献すべき顧客も知り、本当の夢というか天職の自己実現を謳歌出来るのは44歳(関係ないが厄明け・あるかも)からだ。平均すると。が、人生には上り坂、下り坂のほかに、「まさか」がある。まずは自分の体にまさかの病気や怪我がある。家族が病気に倒れ、その看病に時間をとられる。さらに、40代以降は親が倒れる。その介護やケアに・・。そして60代~。知的労働者なら、特に経営者や自営業・職人系は、まさに本領発揮の円熟の頃だが、今度は自分が倒れるリスクが高まる。以上のマサカを考慮すると、何の障害も邪魔もなく、仕事一筋で一心不乱にうち込める時期は10年~15年しかない。何かをやりたいのに、夢はあるのに、人生でまだ何も成してないのに、明日のばし、3日のばし、1週間、1ヶ月、1年3年10年はあっという間に過ぎる。それでいいのか?人生は一度。今30代なら、平均余命は50年。ほぼ確実に死ぬ。40代なら40年、50代ならあと30年。仮に精神的肉体的にも現役バリバリ年齢は65歳とすると、30代はあと30年、40代は20年、50代は10年しかない。その何割かも、自分や家族や親の病気や介護で時間をとられる。それも充実した人生かもだが、「人間の使命は、可能な限り自分自身になること」という自己実現研究家マズロー<完全なる経営>の日本人解説者が正しいとすると、人生を無駄に過ごしてはならない。1分1秒も。明日、バス事故で、震災で、竜巻で死ぬかもしれない。前向きに「まさか」を捉え、悔いのない人生を刻みたい。
以上は竹田陽一の何かの文章を思い出しながら、ドラッカーとマズローも入り混じった栢野克己による自動書記。私もこんなフェイスブックで遊んでる暇はないのだが・・。サボりぐせは治らないのか。いや、ここも一生残る?本になる前に残しておきたい。限りないもの、それは自己顕示欲。早く自己超越せねば。
モンゴル女の写真探しで2012年5月のブログ