第十六章 ウツ

投稿日:2008/10/28 更新日:

新興宗教を渡り歩く

 気づけばウツ状態は深く進行し、新興宗教の門も叩いた。阿含宗、幸福の科学、生長の家、金光教、天理教、善隣教、オウム真理教、崇教真光、他。

 阿含宗は桐山靖雄という教祖で、著書にアメリカ製の健康食品のことが「これは飲んだらパワーがみなぎる」と書いてあり、悩みまくってすべてにやる気がなくなっていたので、藁にもすがるように記載されていた恒和食品という会社名から調べると、福岡にも販売所があると知り、地図を頼って博多区吉塚というその番地に自転車で行ってみると、はたしてそこには「阿含宗」福岡支部の建物が現れた。

 まさかと思いながら入っていくと、中に売店があった。阿含宗直営の売店。即ち、桐山さんは自社で扱う健康食品を自分の本で誉め、自分の店で売っていた。自画自賛というか、本を使った宣伝というか、私が読んだのは阿含宗の宣伝本だったのだ。

 そういうことかとガッカリしたが、やはり藁にもすがりたい、奇跡が起きるかもしれないと非常に期待した私は、プラスチック瓶の成分記述に「ふすま」とあるのに落胆したが、とにかくすがりたかったので、これで3000円もするの?という商品を買った。

 その後、出ようとすると、「ちょっといいですか?お時間はありますか?」と声がかかり、待ってましたの勧誘だと、こっちも話は聞いてみたかったので、「ええ」と応えて折り畳みのイスに座った。しばし雑談し、次の瞬間「さあ、目をつむって下さい」と言われて素直に従い、薄目を開けると、おばあさんは私の頭に手をかざして祈っている。

 これは私も祈らねばならない。というか、良くしようとする念波だろうから、私も精一杯受け止めねば、これでウツも良くなるかもと思った。これだよなと。

 数分後、目を開けて下さいと言われ、開けると「どうでした?」と聞かれたので、一瞬考えたが、そりゃ「ええ、なんか元気になった気がします」と優等生的な返事をしたところ、「そうでしょう」と満足したような、勝ち誇ったような顔で、だからあなたも入信しなさいと、阿含宗の本やチラシやパンフレットを一式もらい、そのまま帰った。意外だがその後、勧誘電話などは一切無かった。フォローミスか。

幸福の科学

 幸福の科学は、福岡支部が私の事務所のすぐそばにあったので飛び込みで行くとチラシがあり、3回ほど勉強会とかセミナーに参加した。勉強会や講演会のようなものはほぼ毎週毎日あった。子供で悩む親の勉強会、リストラで悩むビジネスマンの勉強会、不況に悩む経営者の会、人間関係で悩むOLの会など、悩みを抱えた当事者が見ると、思わず聞きたくなるような勉強会がずらっと並んでいた。

 私は一般向けの会に何回か出てみた。愛の心を持とう、勤勉にマジメに生きよう、ウソは言わない、親に感謝しようなど、大川さんのおっしゃることはもっともなことばかりで、否定のしようがない。が、勉強会で私はタブーかと思われる質問をした。「なんで大川さんが仏陀の生まれ変わりなんですか?」「それは本を読めばわかります」「本を読めばって、自分で書いた本でしょう。何の証明にもならないんじゃないですか?」「いえ、仏陀でなければ書けないことが書いてます。とにかく、読めばわかります」で、覚めた。ダメだこりゃと。

 しかし、信者の人には感心した。それから3年ほど、ほぼ毎月、私の家に来たのだ。いつも居留守を使ったが、彼の人は大川さんの本や月刊誌の残りを置いていった。いわゆる布教活動だ。来るのはいつも夜8時過ぎ。年齢は50歳くらいで、どこかのサラリーマンをしていた。あの調子で、見込み客を廻っているのだ。バリバリの住宅セールスマン並の行動。わからんが、彼の人は伝道が天職だと思っているのだろう。うらやましかった。私もあんな風にのめり込める趣味というか仕事というか、天命、使命、宿命を持ちたい、知りたい、気づきたいと。

在野の宗教家達

 その他、一般には無名の、福岡や宮崎を拠点に細々と個人的な宗教活動というか、教祖を目指しているというか、勉強会や相談会のような場所にも数回通った。その中で、毎月1回程度でしたが、1年近く通った会に「共育」の武田先生という宮崎出身の宗教家というか教育者がいた。話の中で「教会」という言葉がよく出てきたので、キリスト教の牧師かなんかかと思いましたが、どうも親が天理教の支部をやっているようだった。武田さん自身も教会活動には相当のめり込んでいたようだが、実の子供を殺された事件に遭遇し、様々に考えることがあったらしく、いつからか、独自に「共育」をテーマに、講話や勉強会やセミナーのようなことを始めていた人だった。

 話の内容は人生や道徳的なことが中心で、その手に人にありがちな超能力とか瞑想とかいったことはなかったが、毎回、なるほど!と感心することも多く、継続的に通った。
 が、宮崎の都城での全体集会のような集まりに泊まりがけで参加し、そこで教祖の独善的な言動を垣間見てしまい、一気に覚めた。結局は独自の宗教を創ろうとしているのではないかと。

サラリーマン超能力者

 他には、アトピーで悩んでいた知人が「その人のおかげで治った」という、霊能者みたいな人にも会った。福岡のマンションの一室に行ったが、結局はその人の霊能力というか、祈祷師のような感じでどうも合わない。

 一時期流行った?超能力サラリーマンの高塚光さんの講演会にも参加した。重病の母親に手かざししたら治った。それから口コミや紹介で依頼者が後を絶たず、東急エージェンシーの営業マンをやっていたが、特別待遇でVIPの治療に専念するようになったとか。同じ広告マンとして、彼の本の書き方、コピー力に感心した。

 話はありがちな霊能者というか勘違いというか詐欺師というか、そういう話。でも、今も(当時)東急エージェンシーという一流企業のサラリーマンを続けている、正体の確かさとか、外見もスーツを着た普通の中年のような感じ。これは演出というか、実話でしょうが、こういう本の内容を信じると、プラシーボ効果か何か忘れが、手かざしされると効くのではと思った。依頼者は最初から信じているだろうから。そして、本気でこんな人になりたいと思った。俺にもそういう超能力が眠っているのではないかと。そう本気で思わせる文章力というか会話力というか、ウソでも真実と思いこませる、一流のコピーライターだと思った。
 

「内観」というヤツにもチャレンジ

 本もたくさん読みました。毎週出る、プラス発想や自己啓発系の新刊には目を通し、古典系ではデールカーネギーの「道は開ける」、スマイルズ「自助論」、ナポレオンヒル「思考は現実化する」など、どこかに自分の悩みを解決する特効薬はないかと迷いました。迷える読書人、出版社や著者にとって、そういうのが一番のお客さんですね。迷ってばかりでなかなか行動に移さない。読んでも読んだことだけに満足し、傍線や折り目はたくさん付けるが、二度と読み返さないし、何度読んでも忘れる。

 何か行動しないと変わらないな。そう思っていたとき、「内観」という研修のようなもののことを、複数の本や勉強会で聞き、一度参加しようと思いました。「内観」とは寺のようなところに籠もり、目をつむって自分が生まれた頃から現在までを瞑想のように思い返し、親を中心に迷惑をかけたこと、してもらったことを思い出し、その後に親や恩人に自分が「返した」ことを思い出す。すると、ほぼ何もお返しをしたことがないことに気づき、心からの感謝をすることで、悩みを解決するという心理療法?の一種。

 正規の内観は1週間泊まり込みでやるのですが、そこまで休む勇気もないので、熊本の玉名にある蓮華寺というお寺がやっている1日内観に参加しました。朝10時頃から夕方まで、屏風で仕切られた畳の上で胡座をかき、目をつむって自分の幼い頃からを思い出し、両親が私にしてくれたことを振り返りました。

 途中、30分に1回くらい、お坊さん、私の場合は尼さんでしたが、屏風の外に来て、今の時間に気づいたことがありますか?と聞きに来ます。最後に、私は例の連帯保証事件と母親の自殺のことを話すと、尼さんは驚き、私を特別な場所みたいな雰囲気のするへ連れていきました。そこは寺の管長室で、結局、母の供養をしてもらい、ビクビクしながら聞いた料金は5000円で、意外に安くてホッとしました。

 結論から言うと、この内観では特に気づきや目覚めや悟りはありませんでした。1日というのが短かったのかもしれませんし、まあ、よくわかりません。

昭和の哲人「中村天風」の研修会にも参加

 当時、立て続けに本が出て、話題になった人に中村天風という人がいます。既に昭和40年代に亡くなった人ですが、当時の政財界や文化スポーツ界の有名人も指南した昭和の哲人と言われる指導者です。

 第二次大戦中はスパイとして中国大陸で活躍しましたが、当時の死の病である結核にかかり、死にたくないと国内や海外の医師を訪ねたりしましたが見放され、絶望の日々を送ります。帰国途中、船の中で出逢ったヨガの聖者に連れられ、ネパールの山奥のカンチャンジェンガというヒマラヤ山脈で修行した結果、結核を克服。ヨガを元にした心身の鍛練法を修得。帰国後、いくつかの会社の社長をするなどしていたのですが、ある時、上野公園で演説を開始。その教えに毎週毎日人が集まるようになり、その後は(財)天風会を設立して、定期的に講習会や心身鍛練を行うようになり、天風氏の死去の後も、弟子の人たちが中心となって、全国で毎月研修会が開かれています。

 私は福岡の西公園で開かれていた講習会に参加しましたが、最初に心身統一法というヨガを元にした体操を1時間ほど行い、次は室内で講話を聞きました。中村天風さんは、それらの教えを体系化し、冊子にしていましたが、教えの骨子を一言で言えば、言葉や思考は積極的で前向きなものだけを使おう。陽転思考。思考は現実化するというか、マイナス発想やマイナスの言葉は使わないようにしよう。言葉や思考で人生は決まる。ダメと思うとダメになる。物事の良い面を見て考え、人生を前向きに考えれば問題も解決すると。

 これは中村天風さんが結核で苦しみ、体も心も弱っている時、インドのヨガの聖者から「どうだ?具合は?」「もうダメだと思います」「そう思うからどんどんダメになる。俺は良くなる。ドンドン回復していると思うのだ。まずは言葉を積極的なものに変えるのだ。次ぎに行動を変える。次ぎに習慣・・・言葉を換えれば思考が変わる。思考が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変わると性格が変わる。性格が変わると人生が変わる。・・・みたいなことで。

 が、結論から言うと、この天風会も1年前後しか続きませんでした。会に知り合いの比較的地元では名が知れた飲食業の経営者が参加していたのですが、ある日倒産・破産し、夜逃げしました。積極的に強く生きる会のメンバーが、倒産して夜逃げするとはと悲しくなりましたね。まあ、苦しかったから、弱い自分を変えようとしたのでしょうが。空手や少林寺などの武道を習う人で、最初から強い人は希有なように、弱い自分を強くしたいというのが世の常。強い経営者は、本やセミナーやコンサルタントには頼りませんしね。

相田みつをの本

 「しあわせは いつもじぶんのこころがきめる」「雨の日には雨の中を」などの書と詩で有名な相田みつをさんの本にも勇気づけられました。苦しいときや悲しいときや絶望した時など、人生でマイナスな局面にある時に、相田さんの書を見て読むと癒されますね。失敗しても、それでいいんだよと。まさに弱者の味方。
    
 相田さんは昭和の初めに織物職人の家に生まれますが、家庭は食っていくのがやっとの貧乏でした。戦前の、昭和10年代、1930年代の発展途上国だった日本では普通ですがね。戦死した兄や家族の理解と協力もあって高校を出て短大にも進み、学校の教員になりました。

 しかし、趣味の習字というか、毎日新聞社等が主催した展覧会で何度も入選した「書」で生きることが諦めきれず、安定した教員の仕事を断って、独自の書体と独白口語体の書で独立を決行しました。

 が、昔も今も、書や詩のような芸術や文学で食っていくのは容易ではありません。相田みつをの場合もそうでした。書を書き、展示会や個展をやっても、なかなか売れません。追いつめられた相田さんは、書の他に父がやっていた染め物の技術も習得し、フリーのデザイナーとしても行動しました。今で言う、フリーのコピーライター兼デザイナーですね。

 栃木県の足利の田舎町にある商店街や旅館へ自分の作品を売り込んだりしたが、その手の新規開拓営業は、昔も今も門前払いが当たり前。そうは簡単に売れない。何軒も続けてこと断られると、自分の人格も否定されたようで落ち込む。悲観して絶望する。でも、だからこその気づきや、新しい、素晴らしい出逢いもあるんですね。新規開拓営業を「ある程度の期間」やった人なら誰でも経験があるでしょう。

 自伝的な相田さんの本「角川文庫の・・・にありますが、飛び込み営業で入った和菓子屋の主人に、菓子の包み紙のデザインをさせてくれと頼み、「実績も自信もないが、自惚れならある」と言って気に入られ、受注に成功する話があります。まだ全く無名の時期ですが、その菓子屋は、その後、相田さんが全国的に名が売れた今も、当然のごとく、相田さんがデザインした包装紙を使っています。

 私も元の本業は広告代理業で、自分で営業して広告文面を考えていましたから、この相田さんの行動や気持ちは手に取るようにわかり、相田さんも追い込まれて飛び込み営業をしていたんだ、そしてうまくいったんだとうれしくなりました。

 ただ、こんなラッキーな受注はそう多くありません。相田さんの場合も、広告デザイナーとして名が売れたわけではありませんからね。だからこそ、独自作品、人から頼まれて創る下請けではなく、自分の好きな作品を創って売るという、自己オリジナル100%の世界に行くことになるわけですが。

 人にもよるでしょうが、お客から頼まれて相手の意向に添うような作品を「作る」より、自分自身が好きな作品をオリジナルで思う存分「創る」方が、やはりヤリガイがありますね。文字通りの自己実現というか。メーカーの場合、下請けやオーダーを受けて作るのではなく、自社オリジナル商品ですね。

 最初は他社が作った「どこにでもある」商品を仕入れてどこにでもあるような販売をし、次ぎにどこにでもある商品をどこもしないような販売をし、最後は「どこにもない商品」を「どこにもない売り方」でやる。これが、仕事、経営の醍醐味ですね。誰にも媚びず、自分オリジナルで正々堂々と生きていく。

 そういう意味では、働き方としても、やはり誰かに雇われて、お上の機嫌を伺いながら働くのではなく、最終的には自分の会社、自分で独立して好き勝手に生きるのが、それで充分食えて、お客からも社会からも、身分相応に感謝されるのが理想の生き方ですね。

 相田さんは、その後に惚れられたスポンサーからアトリエを贈呈されたりし、創作活動を続けますが、60歳までは食うや食わずの生活。そして、60歳を越えた平成元年、ある地方の会社が創立30周年記念誌の制作に、相田さんの作品を数多く載せ、それが無名出版社の編集者の心を打ち、その人の自腹で「人間だもの」が出て、その書に心を打たれた人が続出して、あれよあれよと100万部を越える大ベストセラーになります。

 最後は68歳くらいで脳溢血で亡くなるのですが、私はこの相田さんの人生に何度も自分を重ねましたね。この相田さんでも、60歳までは芽が出なかった。何度も何度も人生や将来に悲観し、絶望し、でも諦めず、何度も何度も這い上がり、最後は人生を逆転した。俺も就職、転職、独立に何度も失敗をし、借金1億円とかウツとか、滅茶苦茶な人生を歩んできたが、この相田さんのように人生を逆転するのだ。やずやの矢頭さんも、竹田先生もサラリーマン時代にうま行かず、子供にビスコも買ってやれず、醤油も瓶ごと買えないので量り売りで買うしかなく、追い込まれた経験がある。

 「人生は逆転できる!」。私はそういう事例を集めまくった。成功哲学や自己啓発の本を読みまくり、その手のセミナーにも出まくるが、自分自身は一向に成功しない「成功オタク」というのがいるが、私もその一人だが、私は「人生逆転オタク」とでも言えるかも知れない。
 

「雨にも負けず」宮沢賢治の詩

 雨にも負けず、風にも負けず、夏の日照りにも負けず・・・の詩や、風の又三郎、銀河鉄道の夜などの小説で有名な宮沢賢治。しかし、彼の本が売れ、有名になったのは彼が死んで数十年経ってからです。

 元は農業高校の教師で、肥料や農業の指導もしていましたが、自らも実践せねばダメだと、教師を辞めて農家へ転身。その傍ら、詩や小説も書いていました。そのうち、ooは出版しましたが、自費出版でほんとんど売れず、本業の農業や農業指導でも食うや食わずの状況で、そんな苦しい時期に病気にかかり、30代で亡くなりました。

 冒頭の有名な詩は手帳に殴り書きされていたもので、宮沢賢治の当時の苦しい胸の内が間接的に表現され、読む者の心を打ちます。詩は、まさに賢治がなりたかった理想像であり、最後に「・・・そういうものにわたしはなりたい」と結んでいるように、当時の賢治は仕事も体も最悪の状態でしたが、最低限の夢は持っていたのですね。

 いや、もしかしたら諦めていたのかもしれません。でも、諦めきれないというか、書くことで自分を鼓舞しようとしたのですね。相田みつをと同じですね。いわゆる成功はしていない。しかし、あるべき姿、なりたい姿は鮮明に描けている。その理想と現状とのギャップに苦しむ。これが誰もが経験することですね。あの宮沢賢治ほどの大作家でも、苦しい時代があったのだと、安心というかホッとしました。

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-ルサンチマン

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