福岡◆2/22九州ベンチャー大学・第194回

投稿日:2012/2/9 更新日:

☆以下のDVD・音声はコチラ

☆2/22(水)九州ベンチャー大学・第194回

☆時代はネット!特別セミナー4時間 【アクロス福岡】

◆参加者人脈も宝!◆九ベンは格安×少人数×長時間×経営系    【先着30名】【なんと3500円!】
◆アナログ×ネットで革新目指す小企業◆コンサル・士業◆起業予定者

小さな会社☆儲けのルール<ネット×動画>

◆講師①前回大好評のネットコンサルEC実践会・水上浩一代表

◆講師②ネット動画で脱サラ成功!カウテレビジョン・高橋社長

◆司会進行・過激派・栢野克己

●参加予定者→ネット大成功の家具屋「生松工芸」石山社長も!←今はこの記事の時の5倍に!●竹内正浩・年収3000万円調査本著者コンサル●弁護士堀内さん:ネット動画で絶好調!●山本操・男をもて遊ぶ?癒し心理カウンセラー●フェイスブック本で出版決定!(有)ご縁の松本敏彦さん●家業倒産からリベンジ中のサラリーマン●広島から参加の印刷会社経営者●今期はネットで1億目指す風水雑貨ネット店長●印刷業から名刺コンサルタントへ転身!●起業2年目の野菜鉄板焼きと焼き肉店オーナー●楽天で朝ご飯屋を開業のショップオーナー●タオル系ネット通販担当者●糸島半島に癒しの場を計画中の女性●他

◆講師より◆水上浩一と申します。今回は「差別化」と「情報の指向性」についてお話をさせていただこうと思っております。差別化は、EC実践会という全国15地域で展開している勉強会で、8社中4社が全く同じ商品を取り扱っていながら、8社すべての売上、利益が最大700%アップした考え方をシェアさせていただきます。情報の指向性はソーシャルメディアにおいて、とても大切だと思える考え方だと思っております。どうぞよろしくお願いいたします!

参加者の声◎いろはデザイン・橋本さん/結婚式ミニコミ誌制作

水上さんのセミナーは
1.聞きやすい
2.分かりやすい
3.おもしろい
4.秘密トーク満載
と四拍子揃ったとても素晴らしいセミナーでした。あの場所で直接お会いしてお話が聞けた事本当に嬉しく思います。人生逆転の道が見えてきました。これからも精進します!

◎中古車販売のオートワン・田中社長/ネット集客のプロ

水上さんのノウハウは、商品・客層・営業方法・顧客対策 の効果が高い部分を、ECサイトの分野で確立されており、体系的で分かりやすかったです。逆に言うと、何百万も売っているECサイトオーナーですら、経営戦略をWEBに活かしきれていないということでしょうか・・・。ブランディングでは、競合他社との比較や、お客様の購入履歴から、自社の強み・弱みを導き出して、どこの・だれに・何を 売るのかを絞り込むことで、経営の効果を格段にアップされているので、私自身もランチェスターを学ぶ端くれとして嬉しく思いました。EC実践会では、全国型の通販が主でしたが、私の場合、2ステップ型の地域ビジネスなので、やはりリスティングかな・・と思いました。今回は、凄く分かりやすく、頭の整理ができた水上さんのセミナーを開いていただき、本当にありがとうございました!

前回の詳細動画はコチラ

食えないギタリスト→サラリーマン→印刷パッケージの営業→自分でデザインも兼務→アナログの仕事に限界→ネットショップに転身→月商1000万円突破で表彰される→実は内情は大赤字借金状態→立て直し黒字転換に成功→体験談をセミナーで話す→相談コンサル依頼が殺到→出版・コンサル・講師で年間150回ほど機上の人になる売れっ子に。

ネットショップのカリスマコンサル登場
講師① ネット戦略コンサル・水上浩一☆【起業実話+ネット成功事例】

水上浩一さん◆1964年8月5日東京生まれ、神奈川鎌倉育ち。ギタリスト→印刷営業→グラフィックデザイナー→ネットショップ店長→本格的に運営を開始してから1年で1億円突破のオンラインショップに育て、他に3店舗を運営。期間限定で請け負ったスニーカーのサイトは開始月にいきなり月商300万円を売り上げる。スティックタイプのチーズケーキ20万本販売をはじめ数々のSWEETSをヒットさせた実績をもつ。現在は(株)ドリームエナジーコンサルティング代表取締役・戦略的eコマース導入コンサルタント。オープン80日で月商1100万円等、ジャンルを問わず短期間で劇的なネットショップの売上アップ実績多数、大手企業から地域活性化まで「戦略的eコマース導入→成果」を得意とする他、複数のIT系上場企業にて人材育成研修を担当、CS向上と業績向上を実現。2005年3月よりオールアバウト「IT業界トレンドウォッチ」ガイドとして数多くの著名人、経営者にインタビューを行う他、テレビ・ラジオ・雑誌等、各種メディアや全国各地での講演・セミナー等積極的に情報発信を行っている。2006年、上場企業との間でのM&Aに成功。会社を譲渡。2008年より東京FM傘下のラジオ番組パーソナリティとしても活躍。他の著書●「教わる技術」●「人気ネットショップ店長セキララ奮闘記」●「教わる技術」

◆セミナー【1】講師の実体験/天国と地獄

転職転業でゼロからネットショップに乗り出し、月商1000万円を達成!が、赤字!駆け出し店長(社長)がハマった落とし穴とは?そして、わずか3ヶ月で黒字に転換。そのV字復活のポイントは?集客と売上にばかり注力していたため、その実体は、目を覆いたくなるような財務状況でした。しかし、私はその状況からはい上がることができました。それどころか、業績回復後は、売上も伸ばしながら利益を数倍、十数倍にすることができました。その天国から地獄に堕ちた体験、そしてそこから奇跡ともいえる回復をし、その後の増益を可能にした方法を、私自身の経験を数字をお見せしながらセキララに語ります。世の中には、いわゆる成功法則・成功体験に関する本はたくさんあります。私も成功法則・成功体験に関する本をたくさん読んできました。しかし実体験から言わせていただくと、その本のどれよりも今回私が体験した「失敗」にまさるテキストは無かったと思います。「成功」というのは複雑な要因が重なったり、特殊な環境だったり、参入タイミングがたまたまよかったりと様々なケースがあり得るのに対して、「失敗」は、さほど多くないパターンによって引き起こされているケースがほとんど。「失敗」には偶然はありえません。失敗をこのセミナーで疑似体験していただき、本当の失敗を回避してください!

◆セミナー【2】ネットで成功する具体的な戦略と戦術

1 開設決意編/ホームページがない企業は存在していないのと同じ
2 戦略分析編/商品とサービスの強みを再発掘して突破口を開け
3 コンセプト作成編/商品とターゲットを一点集中して勝機をつかむ
4 社内調整編/売上目標から考えるスケジュール・人員・予算
5 ホームページ作成編/ホームページは熱意とパッと見を重視
6 お店繁盛編/1年後には必ず結果が出る集客・販売戦略
7 会社成長編/会社の成長シナリオにフィードバック

『ニッチ商材・無名ブランド品を売りまくる!売り上げの上昇気流を作るトルネードマーケティング』

◆ネットショップで売上を劇的に短期間にアップさせたコンサルティング事例とその手法
◆そして大手外食業も実践「魔法の公式」
◆ネットショップ売り上げ至上主義の功罪
◆収益大構造にするための5つのチェックポイント
◆ネットショップ成功の3ステップのベースとなる基本公式とは?
◆集客のための3つの入り口を組み組んだ自動集客システムとは?
◆2大インターネットモールの特徴とは
◆売上を短期間で劇的にアップさせたコンサルティング実例
◆バックの通販サイトでオープン80日で月商1100万円達成
◆スイーツ販売サイト・海外のお酒と食材のネットショップ
◆月商60万円→月商1300万円に!


講師② カウテレビジョン高橋康徳☆【起業実話+動画成功事例】

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高橋 康徳高橋 康徳●(株)カウテレビジョン代表取締役/九州大学非常勤講師/広島大学理学部卒。元テレビ西日本(フジ系・福岡)報道記者。記者時代に911テロの現地取材、2000年サミット特番など8年間で3000本超のニュース・ドキュメント番組を制作。独立後、その取材スキルを活かして日本・香港・アメリカ・タイなど世界中で活躍する日本人経営者のインタビューシリーズ番組を企画、インターネットTV局COW-TVで配信している。5000人以上の取材経験を通じて、「聞く」というコミュニケーション術に磨きをかける。そのユニークな経歴から大学・企業の講演依頼も。

《受賞暦》2005年福岡市ビジネスプランコンテスト大賞、2010年九州アントレプレナー大賞受賞など。

○動画による企業ホームページコンサルティング
○テレビ番組(主にニュース・ドキュメンタリー)の企画・制作
○インターネットテレビ局カウテレビジョンの企画・制作・運営

取引実績○テレビ西日本○英進館○ストーンマーケット○総合メディカル○麻生グループ○ピエトロ○大賀薬局○堀内恭彦法律事務所○自動車免許学校マイマイ○石の癒○西日本ビル○ソフトブレーン○ふくや○クレディス○レベルファイブ○西日本鉄道○JTB九州○宅配クリーニング・トゥトゥモロウ○蝶屋○書道家武田双雲○スタンダードカンパニー○秋吉公認会計士事務所○即成院○毎日コミュニケーションズ○インテリジェンス○その他

ブログ、メルマガ、サンキューレター・・・お客様への情報発信の手段は色々ありますが、お店やスタッフの魅力を伝える手段として注目度がどんどん高まっているのが「動画」です。さらにYouTubeやUstreamの出現により、動画によってビジネスを加速させることがもはや当たり前の時代となっています。大企業だけでなく、中小企業でも活用できる媒体として欠かせないツールのひとつとなっています。

※以下は必見!高橋さんの独立起業物語

■幼少期~テレビ局への就職活動

皆さんはじめまして。高橋康徳と申します。

僕は、1972年に宮崎県延岡市という田舎町で生まれました。海と山と川の大自然に恵まれた故郷・延岡で成長した後、高校卒業と同時に広島大学理学部化学科に進学しました。

大学卒業には5年間かかりました。専攻は化学(Chemistry)でしたが、大学3年時に知り合ったオーストラリア人の放送作家ヴォーン氏に強く影響を受け、「自分もテレビ局で働く!」と意志を固めました。

そしてテレビ局への就職活動を開始しました。

時は1995年。あの、阪神大震災や地下鉄サリン事件が起きた大混乱の年でした。僕はどうすればテレビ局の人に自分を気に入ってもらえるか?と考え、自分の専攻だった化学の知識とニュースで持ちきりだったサリン事件を組み合わせて、面接でこんな話をしました。

「サリン事件の報道は、いたずらに恐怖を煽ってばかりに見えます。自分だったら、化学の知識を活かしてもっと視聴者に役立つ情報を流します。例えばサリンは水をかけると簡単に加水分解する物質ですよ!とか・・・」

テレビ局の役員面接で力説した結果、なんとか福岡のフジテレビ系列のテレビ西日本(TNC)から採用していただきました。

20120209_3■テレビ局時代

テレビ西日本(TNC)には1996年~2004年3月まで丸8年間お世話になりました。TNCは今も僕の故郷です。本当に感謝しています。僕はこの会社で社会人としての基礎を教わり、その後社会で生きるための力をつけさせていただきました。

テレビ局時代の8年間は一貫して「報道記者」でした。記者の仕事は「事件や事故の現場に直行し警察や消防・目撃者などに取材してイチ早く情報を伝える」というもの。アナウンサーがスタジオで読む原稿を書いたり、時には現場からリポートや生中継も記者が担当します。

8年間で書いたニュース原稿は約3000本。ガルーダ航空機の炎上事故や、対馬沖のタンカー沈没事故、鹿児島の大地震、台風19号といった数々の事件や事故・災害のほか、2003年の民主党大躍進の総選挙や鳥インフルエンザ、SARSなども担当しました。記者クラブは、福岡県警、福岡地方裁判所、福岡高等裁判所、同小倉支部、北九州市警察部、北九州市役所、福岡県庁。

聞く力、メモる力、まとめる力、伝える力など現在のカウTVに生きる力のほぼ全てを教わったのはこの報道記者時代でした。

20120209_4■転機-911テロ取材

2001年9月11日。アメリカで、911同時多発テロ事件が発生しました。

テレビを見て「これは大変だ・・・」と思いつつも、どこかテレビの向こうの世界のことで全く現実感はありませんでした。まさか、数日後に自分がそのニューヨーク行きを命じられるとは夢想だにしませんでした。

そんな中で、運命のめぐり合わせが起きたのです。

テロの3日後の昼過ぎ、TNCの北九州支社(当時の勤務先)に1本の電話が入りました。電話の主はTNC本社の坂田部長。部長は単刀直入に・・・

「高橋、お前ニューヨークに行くか?」

「え?」

「テロの現場に取材に行くか?」

「・・・・・・」

「どうか?」

「行かせてもらえるんでしたら」

「よし、荷物まとめて本社に上がって来い!」

「はい。分かりました。」

短いやり取りでした。この時の僕の心境はというと、決して平常心ではありませんでした。しかし、NOという思いはありませんでした。身の危険や恐怖も確かに感じましたが、それよりも、「あの、歴史に残るであろう現場を、この目で直に見たい!」という、記者の本能みたいな感情が勝ったのでした。その中で1つだけ申し訳なかったのは、妻に何の相談もなく現地行きを決めたこと。NY行きを告げた時、彼女は僕の身を案じて泣いていました。

こうして僕はFNN系列(フジ系)の現地の助っ人記者の1人としてニューヨークへと派遣され。現地到着はテロの5日後。このNYでの2週間が、その後の僕の人生を大きく変えることになりました。

■ジェシカさんとの出会い

現地入りした僕は、マンハッタンの西側に設置されていた被災者救済センターの取材を命じられました。日本人被災者の関係者はどなたも取材に応じていただけない状況だったため、僕たちは外国人の誰かに取材させていただくべく当たることにしました。その結果、テロで最愛の夫を亡くした40代の女性が取材に応じて下さったのです。ジェシカさんというユダヤ人女性でした。

ジェシカさんのご主人はWTCビルの最上階にあった「Window of The World」というレストランでソムリエとして働いていたそうです。そして残酷なことにテロ前日の9月10日は、2人の結婚記念日だったというのです。「こんなことになるんだったら最後の夜をもっと盛大に過ごしたのに・・・」彼女は涙ながらに語りました。

「たった1日で、私の人生は、全く別のものに変わってしまったの」

その言葉を聞いた瞬間、僕の中に、それまで意識したことのなかった感情が浮かんできました。自分が漠然と抱いていた「自分は60歳か70歳まで元気に働いているだろう」という未来の根拠の希薄さに気づいたのです。目の前のジェシカさんは、元気だった夫をある日突然失い、自分の人生までもが大きく変わってしまったのです。

「人生は一度きり」とか「命は儚い」という言葉は知っていましたが、生まれて初めて現実味を持って直面したのがこの時でした。この日から僕は自分の未来を生まれて初めて真剣に考え始めたのです。

「人生は一度きり。報道記者は自分が人生を賭けて遂げる仕事なのだろうか?」

仕事と人生について、来る日も来る日も考えて考えて・・・そんな日々が始まりました。

■自分の仕事を振り返ってみる

僕が作ってきたニュースの大半は事件・事故・災害・テロ・不祥事など、世間のネガティブ情報ばかりでした。先輩たちからは「事件事故の硬派なニュースこそが記者の本分だ!」と教わりましたが、どうも自分には、その"硬派なニュース"に人生を賭けるイメージが沸きませんでした。

一方で、心から誇りに思えるタイプの仕事がありました。それがドキュメンタリーでした。博多人形師の奮闘を追ったドキュメンタリーやゲームのレベルファイブ社に密着したドキュメンタリーなど、高い志で奮闘する人物の努力に密着し、実録ドキュメントとして番組化する。その番組を見た視聴者が元気や勇気を感じてくれる・・・そんなポジティブな番組作りこそ、魂を100%燃やせると感じたのです。

しかし一方で、

「テレビ局の正社員という恵まれた立場を捨てるなんてもったいない!」

という別の自分がいたのも事実した。さらに先輩たちからは

「ドキュメンタリーなんてコストパフォーマンスの悪い仕事で独立するのは無茶だ!」

と助言されました。僕はこの間2年以上、悶々と迷い続けていました。

20120209_5■7人の起業家との出会い

「独立するか?記者を続けるか?」

テロから2年近くが経った2003年8月、1本の電話が鳴りました。相手は大学時代のゼミの1つ先輩の堀明則さん。香港で独立して日本と外国を繋ぐビジネスを展開中の起業家でした。そんな堀さんからのお誘いの電話でした。

「今度の金曜日に湘南に面白い奴らが集まるから、お前も来ない?」

唐突なお誘いでしたが、何か惹かれるものを感じた僕は湘南に向かいました。平日に無理やり休みを取って、航空券を買い、羽田からバスで1時間以上かけて湘南まで行ったのです。こんな誘い「普通は断る所だろ?」と、今でもそんな気がしますが、当時の僕は何かを感じたようでした。そしてその期待通り?に「事件」が起きたのです。

湘南。訪問した先は、当時若手書道家として注目され始めていた武田双雲さんのアトリエでした。そこに僕を含めて20代~30代の9人が集まってきました。面子を見ると、僕とIBMの若手部長さんを除く7人が社長やフリーランスという起業家たちでした。

元ホンダの中近東マーケッター村尾隆介さん(現スターブランド社)、ニューヨークでビジネスをしている宮内亮さん(現ディライトニューヨーク社)、埼玉の酒屋の五十嵐香保里さん、名古屋グランパスエイトの元プロトレーナー佐保豊さん、香港の商社マン堀明則さん(現ホープウィル社)、書道家・武田双雲さん。オリジナルコスメブランドを持つ小菅祥子さん。その後の彼らの活躍ぶりを見ると、この日にこの面子が揃ったことが今では信じられません。

自己紹介が始まりました。そこで繰り広げられる光景に僕は衝撃を受けました。それは「社長×社長=ビジネス発生」という光景でした。起業家同士が出会うことによってビジネスが次々と生まれる様子を目の当たりにしたのです。例えば、南米チリに詳しい佐保さんがチリで人気の「レタスクリーム」という商品を語ると、商社の堀さんが「輸入しよう」と言い、コスメのショーコさんが「じゃぁ国内の流通ルートは・・・」といった感じで、どんどん目の前でビジネスが生まれていくのです。サラリーマンの僕には「衝撃」としか表現できない世界でした。なんだか悔しく、羨ましく、同世代の彼ら全員の姿が眩しくて仕方ありませんでした。

■Just Do It! 独立を決意

そして僕に自己紹介が回ってきました。

「僕は福岡のテレビ局で報道記者を・・・(中略)・・・将来はドキュメンタリー作家として独立したいです」

すると、その場の全員が即座が反応しました。

「独立すればいいじゃん、応援するから!」

「取材のネタだったら、ほら、ここに大勢いるし」

心がグラグラと揺れました。

「独立したい・・・ドキュメント映像で勝負したい・・・」

その日の午後。武田双雲さんによる「起業家の書道教室」が行われました。それがまた心ときめく内容で、僕は湘南を出る頃にはすっかり「ああ、こういう人たちとビジネスがしたい・・・そういう人生を歩みたい」と、独立のことしか頭にない状態でした。振り返ると極めて単純な思考ですが、逆を言えばこのきっかけがなかったら、僕の独立はいつになったか分かりませんでした。

その夜、福岡に戻った僕は妻に湘南で撮影したビデオを見せながら語りました。

「こんな人たちとワクワクするビジネスがしたいんだ。独立させてほしい!」

その時、それまで独立に乗り気でなかった妻が、初めてこう言いました。

「この映像を見たら、やってもいいかな・・・という気がするね。」

僕の独立が決まった瞬間でした。

■今も繋ぐこの日の想い

現在のカウテレビジョンは「映像(番組)で企業や商品の良さを伝えて視聴者に共感買いしてもらう」のがビジネスの中心ですが、こう振り返ると、僕はまさに自分自身の独立の一歩目を、妻というクライアントに対して、映像で切り拓かせてもらったのでした。こうした経験があるからこそ僕は自信を持って映像の力をお客様に勧めることができるのだと思います。

(※実はCOWTV社内の収録ビデオテープライブラリに蓄積された数千本の記録テープの中の、No.0001と0002こそ、この2003年8月22日日の様子を撮影されたものです。これはいつか折を見て公開したいと思います。)

湘南のあの衝撃の1日から半年後の2004年春。僕は半年間の引継ぎ期間を経てTNCを円満に退社しました。まずはフリーランスのテレビ番組作家(ドキュメンタリー作家)として活動することに決めました。5月20日、スピンアウト有限会社(カウテレビジョンの事業母体)を法人登記し、いよいよ念願かなって起業家の道を歩み始めたのでした。

法務局で会社登記を終えた後、妻と天神の小さな店でランチを食べながら「会社が安定するまで贅沢できないから、これが最後の贅沢ね」と、800円の“最後のランチ”を食べたのを、今も昨日のように覚えています。

20120209_6■起業後、いきなり廃業の危機

が、独立への道はやはり甘くはありませんでした。意欲満々の僕に突きつけられたのは「厳しい現実」でした。独立初年度に稼いだ売上げはわずか650万円。「年商」で650万円です。それまで「年収」で1000万円以上をいただいていた自分には信じられない数字でしたが、それが現実でした。開業資金はどんどん減り、一年目にいきなり倒産の危機でした。原因は今なら分かります。明らかに「僕自身の無知」にありました。

それまでテレビ局の記者であれば「作れば誰かが売ってくれる」という立場でしたが、独立すると「製品を作るのも自分、売るのも自分」でした。営業なんて家庭教師派遣のアルバイトで少しかじった程度の自分が直面したのは「営業力」という課題でした。先輩たちが「やめとけ!」と言ってくれた助言が現実味を持って僕の脳裏に浮かび上がってきました。けど、時すでに遅しです。

20120209_7■インターネットとの出会い

どんどん減り続ける資金、毎日感じるのは自身の無力さばかり。「このままでは遅かれ早かれ廃業するしかない・・・」と気持ちばかりが焦る中、ある出会いが僕を「底なし沼」から救ってくれました。それは、インターネットで映像配信の仕事を進めていた「カタオカキカク」という同じ福岡のベンチャー企業との出会いでした。

カタオカキカクの片岡社長は僕が作った映像を見るなり、こう言いました。

「僕は高橋さんのような人と会いたかったんです!」

聞くと、片岡社長はそれまでネット上の映像配信ビジネスをしたくて試みていたものの、『自分の制作する映像は素人の域を出ない、テレビ番組のような人の心をぐぐっと掴むことのできる映像をインターネットで配信したい』と感じていたといいます。

こうして僕は、後にインターネットTV局「カウテレビジョン」の発想の根幹となる「インターネットの映像」という新分野と出会ったのです。報道記者としての経験とスキルを最大限に活かせる場として。そしてこの日から僕と片岡さんとのタッグプレーが始まったのでした。

■そして今・・・

2005年2月1日、片岡さんの力を借りながら僕は背水の陣でインターネットTV局カウテレビジョンがオープン。事業内容は「インターネットTV局の運営と映像を使った企業の商品プロモーション支援」です。まだYoutubeの「ユ」の字もこの世にない時代でした。周囲の心配をよそに、同年9月、カウテレビジョンはそのビジネスモデルが評価され、福岡市主催ビジネスプランコンテストでグランプリを受賞することができました。

そこから徐々にではありますが、僕たちの商品に興味を持ってくださる会社が増え始め、今では福岡を拠点に130社1100本超の企業の映像を手がけることが出来ています。

こうして半生を振り返ってみると、人生のあらゆるターニングポイントに「人との出会い」があり、それらの出会いのお陰で自分のこれまでの世界は広がってきたのだと実感します。

この文章を読んでくださるあなたとも、こうして人生で接点を持てたこと自体が奇跡だと言えます。ご縁に心から感謝いたします。

最後まで読んで下さってありがとうございました。

(高橋康徳 株式会社カウテレビジョン代表取締役)

(2007年2月2日初版投稿/2009年3月11日追記/2010年10月26日追記)

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◆司会進行◆栢野克己/カヤノカツミ◆アジア一?日本一?過激な小企業コンサル・講演家。全部で18万部→「やずやの秘密」「弱者の戦略」「小さな会社★儲けのルール」「逆転バカ社長:天職発見の人生マニュアル」はアマゾン<中小企業経営>ジャンルで7年300週~現在までベストセラー第1位~5位。台湾(中国語)・韓国・タイ・インドネシアでも出版。零細企業☆人生逆転の事例講演・執筆・勉強会主催の(株)インタークロス代表取締役。主催のセミナー交流会「九州ベンチャー大学」や「経営人生計画セミナー」「早朝マーケ会」「個別相談会」は17年1000回を越え、累計で約1万人参加。全国+アジアで年間講演約100回+勉強会100回が自主ノルマ。2006年~2007年に家族で1年間の世界一周を実現!夢は全世界で1000万部の著書+世界200ヶ国渡航■福岡県立小倉西高校は裏口入学・立命館大学卒。新卒入社のヤマハ発動機を9ヶ月でノイローゼ退社、バイトのリクルートは3年弱で正社員試験落第。失意と復讐を誓い、大阪のIBMリースへ転職するが、またも仕事失敗+ウツ+婚約破棄+自殺未遂で退社。東京へ逃げ、半年失業後チラシ宅配ベンチャーへ転職。しかし、そこも詐欺的FC会社でまたも転職に失敗。もはや「同級生に勝つには独立しかない」と決意し、様々なセミナーや交流会に参加後に「無料職業相談業」で起業。しかし、半年で金がなくなり、出版社:ビジネス社でテープ起こしのバイトをするも先の人生が見えない。そんな92年実家が他人の連帯保証1億円かぶり博多へUターン。6度目の転職で広告代理店へ。同時にビジネス交流会「九州ベンチャー大学」立ち上げ。 95年、借金返済のため2度目の起業。97年完済するも実家失い親は自殺。2002年~今までの人生への復讐スタート。お楽しみはコレからだ。

◆2012年2月22日(水)18:00~21:30(出入り自由)

※終了後、有志で魂の懇親交流会

◆参加費・先着3500円 ※お支払いは当日受付で

◆場所:アクロス福岡【2F】セミナールーム・福岡市中央区天神1-1◆会場の地図
◇地下鉄「天神」徒歩5分

◆主催・九州ベンチャー大学・栢野克己◆活動取材記事はコチラ

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