福祉介護事業が私の天職!グループホームきらめき代表 中原亜希子さん

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昨夜、ネット動画制作カウテレビジョン高橋さんの素晴らしい採用ノウハウ事例セミナーに参加。横に4年前の怪しい自己啓発研修で一緒だった女性起業家の中原亜希子さんが。真横で見るとイイ女。が、何やってるか検索して驚き!素晴らしい天職事例。ぜひ以下と動画観て。従業員90名の美魔女社長独身!^_^

■ 音響機器のレンタル業から転身し、介護の世界に入った中原亜希子さん。カラオケ機材を軸に商材を増やし、福祉用具のレンタルを始めたことがきっかけだった。バリアフリー勉強会のメンバーと、広島県のグループホームを見学したとき、かつて体験したことのない感情が心の底から湧き上がった。「認知症高齢者の方と介護をする人たちが支え合っている姿を見て、そこに流れる温かい空気に触れ、私がやりたいのはこれだ! と思ったんです」と満面の笑みで語る。

直感に迷いはなかった。レンタル事業を売却し、「みんなが住みやすい家をつくりたい」という一心で、グループホーム設立に向けて動き出した。当時の拠点は福岡市だったが、知人から北九州市八幡西区の物件を紹介されると即決。8カ月の準備期間で『グループホームきらめき』を開設した。

介護経験も土地勘もゼロからのスタート。利用者はなかなか集まらず、定員に達するまで2年かかった。「紹介で来るのは重度の認知症の方ばかり。他では大変だと言われた方を受け入れてきたことが、うちの強みになりました」。気持ちに寄り添う介護をするために、相手が生きてきた歴史や環境を徹底的に学んだ。介護スタッフとの意見の衝突、借金返済も乗り越え、一つの場所で9年間かけて事業基盤を構築。3年前から介護形態の異なる事業所を増やしていった。

現在は、アジアの介護普及活動にも関わっている。志を共にする全国の経営者と手を組み、NPO法人の理事として、ミャンマー国の介護職員を日本で育てる仕組みづくりを始めた。中原さんは主に教育面を担当している。「数十年先には “介護” がノーベル平和賞を取るビジョンを持ち、優れた日本の介護をグローバルスタンダードにしていきます」。直感を信じて切り拓いてきた道を、さらに広い世界へつなげていく。

『株式会社 プロデュース』代表
中原 亜希子さん
1970年山口県下関市出身。短期大学卒業後、サービス業などを経て2000年に『株式会社プロデュース』を起業。2006年から北九州市八幡西区で認知症高齢者を対象にした介護施設『グループホームきらめき』を運営。より利用者ニーズに合ったサービスを提供するために、小規模多機能ホーム、認知症対応型通所介護などさまざまな形態の介護事業を展開。現在、同区の本城地区と上の原地区に4店舗8事業所を運営している。

以上アヴァンティ記事抜粋 http://www.e-avanti.com/1441

■以下はジモスの記事抜粋 https://www.macchialabel.com/contents/future/vol14/

現在、福岡県北九州市内でグループホームやデイサービスなど福祉施設7事業所を運営する代表の中原亜希子さん。彼女がここまでに至る道のりには、離婚や長年連れ添ったパートナーの死去に加え、詐欺師にひっかかって巨額の借金を負ったり、コンサルに騙されたり。波瀾万丈という言葉ではおさまりきれないほどのできごとが、次々と起こった。

それでも決して逃げずに、前を見て誠実に対処してきた中原さん。そんな彼女を神様は見捨てなかった。

「福祉機器のレンタル事業を営んでいた時に、グループホームに見学に行ったんです。その時のあたたかい空気感に、心底やられてしまいました。私が本当にやりたい仕事はコレだ!と」。以来、グループホームを経営したい欲求は日ごとに積もる。とはいえ、何をどうしたらいいのか分からなかった中原さんは、出会った人と名刺交換するたびに、「グループホームをやりたい中原です」と言っていたとか。

各事業所が毎月発行している、スタッフ手作りの「きらめき便り」。入居者さんの充実した毎日が垣間見られ、ほのぼのとした気持ちに。ご家族にも喜ばれているとか。

■依存からの脱却!真の経営者として試される時期

33歳の年のある日のこと。これまでの願いが叶い、北九州でグループホームをやってくれる人を探している人がいるという話が舞い込んできた。場所も用意されていてリフォームするのみ。しかも、経営コンサルタントが付き、広報活動から何から何までサポートしてくれるという、至れり尽くせりの話に二つ返事で引き受けた。すぐに契約して8ヶ月後には「グループホームきらめき」をオープンするも、誰も集まらない。18人満床のホームだったが、オープンから2ヵ月経っても入居者は一人という有様だった。

「ここでやっと気がついたんですよ。頼り切っていたコンサルは何の活動もしていなかったのだと」。当然、悔しい気持ちもあったというが、コンサルに依存していた自分を省みた。当時はまだほかの事業も並行していたので、スタッフの給料も払えたそうだが、「このままだとすぐに立ちゆかなくなる。もう誰にも頼れない」と感じた中原さんは、グループホームに泊まり込み、経費節減のために夜勤なども率先して行った。

当時を振り返るとグループホームを立ち上げてから3年間は、寝食を忘れて必死に働いた。聞けば、布団の中には入らず、何かあればすぐに対応できるように椅子で仮眠をとっていたそう。それだけに中原さんの本気具合がうかがえる。やっと事業が軌道にのってきたと思えば、次に訪れたのが16年間連れ添ってきたパートナーの死だった。「長い間、ガンを患っていたんですけどね。やはりいるのといないのとでは大違いで、ただいてくれるだけでどんなに救われていたことか…」。それでも、悲しみにふける時間はない。グループホームで生活する入居者さんのご飯、お風呂のサポートと、息つく暇もない中原さんは、前へ前へと勇往邁進するしかなかった。

決断に迷った時に開くと、自然とその答えが書いてあるという『中庸』。写真は『中庸に学ぶ』(致知出版社)

■日本の介護(KAIGO)をグローバルスタンダードに

もともと勉強家の中原さんだったが、グループホームの経営をスタートしてからはより一層、経営や自己啓発の勉強に力が入った。外部のセミナーに出向いたり、地元の法人会にも積極的に参加。やがて、当初いちグループホームからスタートしていた事業は、44歳になった頃にはグループホームや小規模多機能ホーム、デイサービスなど全7事業を展開するまでになっていた。

「この先は、事業所を増やす予定はないんです。それよりも目の前の入居者さんに喜んでもらえるように。また、入居者さんのためにも環境も含めて、社員教育にも力を入れています」。現にスタッフを外部の研修会に参加させるなど、積極的に教育を行ってきた。その結果、きらめきグループの人材育成が話題を呼び、昨年、同じ経営者の勉強仲間から、あるNPO法人設立の参加を持ちかけられた。

「今の日本の介護事業は世界的に見ても素晴らしい取り組みをしているので、この日本の介護をグローバルスタンダードにしようという活動なんです。それと同時に、日本はこれから本格的な少子高齢化の時代に入っていきますので、介護現場の人員も不足していきます。そこで、ミャンマーに介護の学校を作って、人材育成を行おうという試みなんです」と目を輝かせる。そして、中原さんはこう続けた。「私だけでは、こんな大それた事業を興すことはできませんでした。でも、これまで時間とお金をかけてきた人材育成だったらお役に立てるかもしれないと思ったんです。

私自身、やっと次のステージに立てたような気がします。ステージが変わってくると出会う人も変わってくる。人生ってつくづく面白いものですね」と笑った。

普段は自己啓発のセミナーやNPOの活動などで国内はおろか、海外出張も多いので、デスクワークは集中して一気に片付ける。

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